耶蘇上帝會 太秦之宮

京都・太秦を拠点とする日本のキリスト教会です

交わりtopics

交わりtopics 7月8日(水) 

まだまだ従えていない自分

祈りながら、苦しくなって倒れてました。根本からイエス様の命令を守ったのか?従ったのか?放置していました。これができないと次がない。(鰒)

群の中での訓練

反発心を持って応戦してはならないということを、訓練として受け止めています。(真)

日本人も韓国人も中国人もない

自分が日本人であることを誇るのは、違うのではと最近思うようになりました。私たちが誇るべきなのはイエス様だけと教えられています。あるきっかけから嫁と姑のことを調べていて、日本と韓国は似ているところがある事を知りました。同胞なのだな、と思うと自由を味わいました。イエス様の御国に生まれた者として、この国に遣わされ、生かされているのだと思いました。(伊)

何を悔い改めたら良いのか

今週、父が突然入院し緊急手術をしました。先週は弟の嫁のお母さんが、九州豪雨で2階の窓から助け出されました。私はこのことを通して何を悔い改めたらよいのでしょうか。私は、自分の感情を中心に物事を見てしまいます。(自分の家族だからという事ではなく)イエス様の目から見ることを教えてください。(香)

イエス様の愛を伝えられるように

今週、私の母も血尿が出て、癌の検査を勧められています。母は、(持病や人生の虚しさ寂しさからか)ハンドパワーで病気を治療する団体に所属していて、「パワーによって支えられている」と言っています。姉は「母が自分で決めた事だから、あなたが口出しする事ではない」と言います。自分のことではなく、人のことを祈るのはしんどいです。でもどうか母に、イエス様の愛を伝えられますように・・。(伊)

自己主張から解放されたい

恨みつらみ、人を愛せない・・解放されたいと思いながら、自己主張をしていました。自分を砕くためだと、感謝したいと思います。(鰒)

起きてくる事をどう捉えるか

祇園祭のことですが、戦争以来の中止だそうです。これが「警告」とは・・。クリスチャンの中には「多神教の祭りが中止されて良かった!」と捉えている人々がいるのでは。いろいろ起きてくる事象をどう捉えろと言われているのか。正しく受け止めるのは、本当に難しいのだなと思いました。
イエス様という衣を着て、自分を清くして、聖所に入って行くという自覚もなかったです。(安)

敵を愛する訓練

コロナで夫の会社の経営が厳しい中、夫が姉二人にお給料を出し、車まで買ってあげていたことを知りました。(姉二人はお金には困っていません)夫は「つらい。やってられない。」と愚痴を言います。でも私にとっては、肉との戦いです。「夫が実家の生活を支える余裕があるなら、私が貸した大金を返してからそうして欲しい!」と思ったのです。家庭をないがしろにしてまで、実家にばかりつぎ込む夫を、敵として見てしまい、良いところを全部持って行ってしまう夫の実家を、ライバルのように思ってしまいます。
「敵を愛せ」という、自分を裏切る相手を愛して祈るというのが、私の課題です。これを乗り越えないと、家族以外の第三者を愛することなどできないです。(爾)

祈りにより愛せるように

自分も夫を愛せない時がありました。元々私たちは愛せない者なのです。主が力をくだされなければ、無理です。でも祈り続ければ、必ず愛せるようになりますから!(寂)

過去の自分を思い出して

実は昨夜、自分が若い時に弟にとっていた態度を思い出し・・その罪の汚さに眠れなくなっていました。2つ年下の弟は、当時背も高くハンサムで、優しくてスポーツもできるので女子たちの憧れの的でした。そんな弟を、年下の彼氏以下のしもべのように扱い、自信満々で弟の周りの女子たちに対して、上から目線の傲慢な態度をとっていたのです。姉妹のお話を聞き、自分とお姉さんが重なりました。自分の罪は、イエス様が十字架にかかってくださらなければならない程に、深いのだと思います。(晴)

弟子になるための芋洗い

「芋洗い」自分の中のものを、出すからぶつかる。私はそれを出していないだけかも・・。私も芋洗いに加えてください。(香)

上(天)で、弟子になろうとしている人と認められれば、必ずお互いをぶつけられます。弟子になろうとしていなければ、放っておかれます。
それは本人が一番楽しくない。(肉という皮を)剥かれていって(その時は痛いけど)、新たな感受性(理解できる心)が与えられ、視野を広げることができます。そして、そこには喜びがあります。
私も元々内向的なので、いつも黙っていました。イエス様に「なんでこうなんだ」と聞かれ、神学生時代にも「存在そのものが気にくわない」などガンガン言われることがありました。そうやって変えられていくのです。(堂仙)

交わりtopics 7月5日(日)

父を変えてくださった主

父が入院していた時に、ずっと付き添いをしてくださった方に、お会いする機会がありました。彼女は、当時、身の周りの世話をする「付添い人」に過ぎなかった自分に父が、「礼と誠意を尽くし、大切に扱ってくださった」と感謝し、「息子の就職もお世話になり、本当に嬉しかった」と、涙を流されました。元々父はそのような人ではありません。主が父を変えてくださったこと、人を変えることができるのはイエス様だけだと、感謝しました。イエス様がくださったプレゼントでした。(寂)

妹たちの部屋探しで

妹たちの部屋探しを、私が代わりにやっていたのですが。
不動産会社の熱心な店長さんがたまたま担当になり、若いけど誠実な姿勢に信頼し、部屋をお願いすることにしました。ところが、妹が別の不動産会社で契約してしまい、せっかくお願いした彼に迷惑をかけてしまう事になりました。「イエス様、肉の善意でした。あなたにフォローして頂くしかありません!」と悔い改めて祈りました。そうしたら奇跡が起きました。妹が頼んだ担当さんが、部屋の契約手続きを行っておらず、結局はその店長さんに契約をお願いできる事に。コロナ騒ぎが少し落ち着いた今、不動産業界は繁忙期です。部屋がそのまま残っていたこともあり得ません。全てを完璧にフォローしてくださり、全ての関係者にとって良きことをしてくださったイエス様に感謝です。こんなことができるのは、イエス様しかおられません。(爾)

私たちがパリサイ人に

「このままでは日本は駄目だ。滅んでしまう!」と、日本を愛して発言する人が、「反日」のレッテルを貼られていることを知りました。「反日」の言葉の定義も必要です。
また、日本に在留する中国、韓国の人々を見下していると、私たちがパリサイ人、律法学者となり、彼らが良きサマリヤ人になるかもしれません。(真)

謝れば良いというものでは

自分の発言に対して、「謝れば良い」というものではない。心に痛みがあり、苦しんでいます。(鰒)

大いに苦しんでください。大切なことです。(堂仙)

善人にも悪人にも

子供がゲームのことで嘘をつくことがあり、騙された悲しみがありました。でも私もイエス様に同じことをしてきたのではないか・・。善人にも悪人にも憐み深いイエス様はすごいです。私も憐まれているからここにいるのだと思いました。(伊)

与えられた仕事

今与えられている仕事が、本当に自分に必要だったことを知り、茫然としました。イエス様が備えてくださったのに、ぶちぶち文句を言ったことがあり、申し訳なかったです。全てをご配慮くださったことを知り、感謝しました。イエス様について行くには、必死じゃないと無理なのだと思いました。(伊)

この世と調子を

今まで、人の表情や言動に振り回されることが多かったので、今この世と調子を合わせられなくなったことを、感謝します。だから黙っています。苦しいけど感謝です。(理)

見えない世界は

水曜日の交わりの後、ある兄弟の発言が気になり、ふと不安がよぎり、(今思うとイエス様の愛を)疑いました。その時に、ガリっと車を擦ってしまいました。いつもの道なのに。「イエス様、夫に叱られます。困ります。私の責任をとってください!」と厚かましい祈りをしました。明るいところで見ると、奇跡的に軽傷でした。(叱られない程度)でも、コンクリートで擦ったのに、こんな傷あり得ない、と怖くなりました。見えない世界ってはっきりしているな、と思いました。そしてまた、夫を通して、イエス様からプレゼントをいただいた週でもありました。感謝です。(晴)

交わりの最後に堂仙さんより全体へのコメントです。

知識と情報とは、別のものです。事実を知るにはデータが必要です。しかし、生まれつきの肉で判断するのではなく、全て、イエス様というフイルターを通して見なければなりません。全てをイエス様からお聞きするのです。パソコンも携帯も、この世の物はサタンの手の中にあるので、その中に餌がある。自分の好きなこと、興味のあることを、敵は餌としてぶら下げてくるので、自分のはまるところを確認すべきです。イエス様にもっと信頼して、もっと交わってください。そして、私たちは何度も失敗を繰り返すものですが、その度に「失敗でした」と戻って来るのです。
弟子たちは、「誰がリーダーか!?」とお山の大将どうしで喧嘩をしていました。私たちも同じです。お互いの足を洗い合い、お互いの汚物をきれいにするのが、弟子のすることです。今私たちは、芋洗いの最中です。自分の言葉の使い方など、この言い方なら分かってもらえるだろうか・・と相手に対してだんだん分かってきます。汚物処理係を喜んですること。(私の訓練でもあります。)そうするなら、いろいろ用いられるようになり、王の友となるのです。喜んで、汚物処理係の顔をしてください。それは綺麗事ではありません。イエス様の弟子は、イエス様のために自分を駄目にする(無駄にする)こと。今それが道場なのです。(堂仙)

交わりtopics7月1日(水)

こもれび庵の窓から

弟や妹たちとの関わりを通して

自分のことなら自分の中でもがいて悔い改めれば良いけど、弟妹たちの事になると、イエス様に委ねつつ道をあけて頂くしかない。自分のことよりもっと出口が見えなくて、倍以上の苦しさがあります。でも祈りで格闘していると、イエス様が人を変えて行かれるタイミングがあり、それは自分の考えとは全く違う。弟妹たちを通して、「イエス様にしかできない!」という奇跡を見せていただいています。イエス様に問題を持って行く。そしてイエス様は人を動かしてくださる。イエス様は生きておられる!という喜びを味わっています。喜びと愛を与えられるのは、イエス様だけです。(爾)

肉との闘い

自分の中から出てくるものは、肉。それと戦い悶々しています。(鰒)

堂仙談:成長する時、脱皮する時はそういうもの。心も葛藤し、悶々とする。それで良いのです。しかし、その怒りを人に向けてはならない。自分の中の悶々としたものをイエス様に持って行かなければならない。そうでないと人に頼ってしまい、成長できない。自分の中で葛藤し、しんどいのは当たり前のこと。だから忍耐なのです。人に言ってしまえば楽だけど、それではいけない。黙っているのです。

ちょっと反発も・・・

礼拝の前半部分で、また同じ話・・・と反発してしまいました。(真)

堂仙談:私にとって、語る時はいつも新しいのです。イエス様にあって、自分が与えられたことを、何度も語らねばならないのです。イエス様は何度も繰り返し同じ話をされました。弟子たちが悟れるまで。語られたことが、ある時に自分の体験となる。それまで語らねばならないのです。

皆にそれぞれに役割が

ホームページやFacebookなどやっていますが、皆が賛同するわけではないと思っています。反発されてもそれはかまいません。意見をすり合わせる必要はありません。旧約では、最前線で戦う人もいれば預言者の役割をした人もいる。それぞれが、それぞれの立場や環境で、やるべき事をやって行けば良いと思っています。(真)

怒りからの解放

古い自分の中には、戦いたいというものがあります。でも、怒りから解放されるのは本当に自由です。ダニエル3章のネブカドネツァル王の驚きを思いました。どんなに驚いただろうと思うと、私も鳥肌が立ちました。(安)

先祖伝来の古いものから

生まれ育った環境の中で、先祖から受け継いだ掟だから、祟りがあるからと、無駄なことを強制されることが多くありました。そのような悪しきものの支配と先祖伝来の古いものから、イエス様は解放してくださるのだと実感しています。イエス様は自由を与えてくださいます。(晴)

交わりtopics 6月28日(日)

こもれび庵での集会の様子

こんな自分を選んでくださった

職場で、人の顔色を伺いそうになる自分との闘いでした。でもこんな自分を選んでくださったことを思う時、感謝が込み上げて来ました。また、水曜日のメッセージで、洗礼は誰からどのように受けたかではなく、ガラテヤ2:20「もはや私が生きているのではなく、メシアが私のうちに生きておられるのです。今、私が肉において生きている命は、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、上帝の御子に対する信仰によるのです。」を聞き、慰めと励ましになりました。理

墓場を住処にしている人を・・・

墓場を住処にしている人(人や自分自身を攻撃、批判するのが好き)をどう救うのか?ということを考えていました。豚の群れは破滅に向かって溺れ死ぬ、そのようなものが人(自分)の内にある。罪とはそういうものなのだと。今日のメッセージの中で、自分が死ぬ道、自分の中の滅びようとするものが滅びる道、それが十字架の道である。それは幸いであると思いました。また、聖書には、「女性は教師になるな」とありますが、女性は指導者になると支配者になりやすいからではないか、と思います。真

昔の日記を読み返してみて

洗礼を受けた前後の自分の日記を読み返してみて、イエス様に従うことに不安や否定的な思いを持っていとことが分かりました。その時の洗礼をもう一度自分の中でイエス様の十字架と結び合わせ、私自身の洗礼とします。また、夫婦で同じ皇民の群れで礼拝できる恵み、イエス様が全てを準備して守っていてくださったことを感謝します。香

6/22(水)の交わりの後、姉妹たちのLINEのやり取りを受けて・・・

最近、群れに共通する問題が顕著に思えるので僭越ながら(堂仙さんのご了承も得て)書かせていただきます。自戒も含めてなんですが…。女性って、簡単に支配者になってしまうものだと思います。最近、主婦をしている時間が長いので、自分がこの家と家族を支配しているような気持ちになっています。また、太秦の助け手的な立場にあるだけで、支配的な態度をとりがちであることも自覚しています。
自分がいなければこの家(群・会社)はダメ→そういう自分は立派
→大切にされるべき、という考えは捨てる、のは当然として。
そもそも夫をはじめとする家族、同僚、仲間が、自分(衣食住も)を支えてくれていることの認識と感謝が足りないと感じます。自分が関わっているのは、家(群れ・会社)のある一部分だけ。他のより重要な部分を、誰かが担っていることに、お互い、もっと目を向けてまいりましょう。時には、感謝を言葉に表すことも大切ですよね。真

じっくりと読ませて頂きました。色々と考えさせられましたのと、交わりで言葉に出来なかった部分もありましたので、重複する部分があるかと思いますが書かせて頂きます。旦那は都合が良い時だけいるという生活はかれこれ15年近くになります。
子供が小さかった頃は不安そうにする度、私が2人分の愛情と包容力で支えてあげなければと強く思い、、そしてこの15年近く旦那には話し合いを拒否られ続けるので、黙るしかない、、とやってきているうちに家庭に関して支配欲が強くなった気がします。生活させてくれている事、頭では分かっていても旦那の身勝手な生活態度に感謝が薄れてしまいつつあるなと感じていました。長女という性質から人に対しての謙遜さを失い易いので、こうしてお話できる機会は私にとってとても有難い機会で、色々と参加できるよう、いつも御手配頂いておりますこと感謝致しております。改めて今の自分を振り返る時間が持てました。有難うございます。爾

送って下さったラインを私もじっくり読ませて頂きました。仰ろうとしておられる事がちゃんと把握できているか分からないのですが・・群れの中で、家族の中で、してもらっている事が、いつの間にか当たり前になって、感謝が足りていない自分・・本当にそうだと思いました。それはつまり、イエス様に対してもそうなのだと思いました。以前にも、やってあげる、と仕える、というのは全く違うと言われましたが、古い肉では仕えるのはできず・・まだまだ死ねていません。群れの中でも家族でも、支えてもらっている事の感謝の思い、言葉をもっと大事にしたいです。私も自分を振り返る事ができて、感謝します。伊

今朝ちょうど、別の事で入院した時の事を思い返していましたが‥
あの時、私がいない方が家の中は平和にうまく回っていて‥兄弟姉妹のとりなしとイエス様の助けがあったのはもちろんですが‥自分がいなければ‥という幻想は、木っ端微塵だったなと、思い出しました。香

感謝を言葉に表すこと、足りないなと思います。
ちょっと違うかもですが‥
家庭で支配するという事で近頃気づかされ、態度を改めなければと自戒し始めた事があります。
いつのまにか、特に食べ物やお金で、自分が主管者のような、采配する権限があるような言動をしていることです。
もともと主人が働いてイエス様から預かったお金、又それを元に購入した物々。
私は、家計を預かり管理させてもらっているだけなのに、主導権があるかのように振舞っていたのです。特に主人には出し惜しむ心があったりして‥まだまだ出てきますが、そんなケチな私は、やめ!と思って過ごしています。香

自分が家庭の支配者になってしまう、というのはその通りだと思います。家族は自分が支えているのだから、私は大切にされるべき・・・という肉の思い。醜いです。この世の価値観と何も変わりません。自分がどれだけ愛され支えられているのか、感謝することからやってみます。晴

以上のやり取りを受けての交わりでの発言

自分は女性ではありませんが、家事をしていると支配者になってしまうというのは同じです。夫婦の間で陣取り合戦のようになり、自分が妻を支配しようとしてしまいます。自分の正しさを主張して批判し、勝ち誇ってしまうのです。これが本当にイエス様の命なのか。古い自分からの解放を求め、もっと妻に感謝していきます。腹

今の環境に夫に感謝してみようと決めて、悔い改めている時は、肉が悶々としていました。でも続けていると、突然感謝が・・。その時は嫌でも、悔い改めは私を自由にするのだと、感謝する事は力なのだと、教えていただきました。晴

交わりtopics 6/21(日)

日曜礼拝後に発表された、各メンバーの話を紹介します

①夕飯の何気無い会話さえ聞いておられるイエス様。夫婦で驚くことがありました。

②自分の中にイエス様の命が本当にあるのか?無いのか?落ち込みましたが、イエス様にお頼りしていきます。

堂仙『落ち込む事は良い事。それから本気になって立ち上がって行くことができる。そしてイエス様の命がはっきりして行く。』

③処理されていない肉の思いを、思い出させていただきました。空を見上げて、自分は何と小さいのかと思いました。今起きている事で、自分がどのような者か教えられています。

堂仙『自分がチェックされるのは、怒るような事を起こされる時。その時自分はどんな反応をしてどう対処するのか、主は見ておられる。

④国を動かすほどの信仰、普段の生活で現せるように。。。生活して行きます。

⑤「大人になる事」 何かが起きてきた時、立ち止まって昔と違う反応をする。どうするのか自分で決める事。自分で責任を取ること。また生活の中で、自分の立場を思い出さされています。

⑥自分の発言は全て記録されている。Twitterをする時も動機を見ておられる。

⑦私たちが従うことによって、イエス様の王国が現され、そのことによって御国が日本を支配して行く。だから当時の支配者は、聖書にあるように抵抗したのだと思いました。加えて、悪い者は本来の言葉の意味を汚してしまう。例えば(エホバの)王国のように。

堂仙『イエス様の王国が支配を広げて行く。だからこの世の支配者、悪霊は戦う。これが霊的な戦い(国と国どうしのもの)である。個人の悪霊の追い出しなどでは無い。そしてここにこそ、平和がある。また、世が嫌がっている言葉こそ大切である。(皇国など)

⑧地上にいる時間は短いと思わされています。私もTwitterをしますが、自分が教えられて来たことを発信しようと思います。「〜のために」ではなく。(誰かを批判したり、折伏(しゃくふく)したくなったらやめる。

⑨新しい会堂が必要だと思っていた時に、礼拝の賛美を聞いて感動しました。会堂は広さではなく、やはりイエス様のご臨在だと思いました。

⑩家でコップを割った時、夫は知らんぷり。(母親にはベタベタ)女性のサガ(優しくされたい)という肉に死んでいたら・・。イエス様に解放していただきます。

⑪忘れていた祈りが突然きかれたり、その時イエス様が誰かに何かをしてくださったのを後で知る時、5つのパンと2匹の魚の捧げ物を思い出して感謝でした。

⑫中学生の男子(反抗期)のような夫の態度に腹が立ち、「早く日本を動かせるようになれ」と思いました。(大それたこと)しかしまずそれは自分から始められなければならないです。

⑬息子(また息子のように夫)を支配する母親のイザベルのような姿や、その中でずる賢く立ち回る男性の姿などを見せられて、この世は深い闇の中にあるのだと思わされています。自分はどうなのか?全ての人が囚われ人で、イエス様の十字架の救いが必要なのだと思いました。