まだまだ従えていない自分
祈りながら、苦しくなって倒れてました。根本からイエス様の命令を守ったのか?従ったのか?放置していました。これができないと次がない。(鰒)
群の中での訓練
反発心を持って応戦してはならないということを、訓練として受け止めています。(真)
日本人も韓国人も中国人もない
自分が日本人であることを誇るのは、違うのではと最近思うようになりました。私たちが誇るべきなのはイエス様だけと教えられています。あるきっかけから嫁と姑のことを調べていて、日本と韓国は似ているところがある事を知りました。同胞なのだな、と思うと自由を味わいました。イエス様の御国に生まれた者として、この国に遣わされ、生かされているのだと思いました。(伊)
何を悔い改めたら良いのか
今週、父が突然入院し緊急手術をしました。先週は弟の嫁のお母さんが、九州豪雨で2階の窓から助け出されました。私はこのことを通して何を悔い改めたらよいのでしょうか。私は、自分の感情を中心に物事を見てしまいます。(自分の家族だからという事ではなく)イエス様の目から見ることを教えてください。(香)
イエス様の愛を伝えられるように
今週、私の母も血尿が出て、癌の検査を勧められています。母は、(持病や人生の虚しさ寂しさからか)ハンドパワーで病気を治療する団体に所属していて、「パワーによって支えられている」と言っています。姉は「母が自分で決めた事だから、あなたが口出しする事ではない」と言います。自分のことではなく、人のことを祈るのはしんどいです。でもどうか母に、イエス様の愛を伝えられますように・・。(伊)
自己主張から解放されたい
恨みつらみ、人を愛せない・・解放されたいと思いながら、自己主張をしていました。自分を砕くためだと、感謝したいと思います。(鰒)
起きてくる事をどう捉えるか
祇園祭のことですが、戦争以来の中止だそうです。これが「警告」とは・・。クリスチャンの中には「多神教の祭りが中止されて良かった!」と捉えている人々がいるのでは。いろいろ起きてくる事象をどう捉えろと言われているのか。正しく受け止めるのは、本当に難しいのだなと思いました。
イエス様という衣を着て、自分を清くして、聖所に入って行くという自覚もなかったです。(安)
敵を愛する訓練
コロナで夫の会社の経営が厳しい中、夫が姉二人にお給料を出し、車まで買ってあげていたことを知りました。(姉二人はお金には困っていません)夫は「つらい。やってられない。」と愚痴を言います。でも私にとっては、肉との戦いです。「夫が実家の生活を支える余裕があるなら、私が貸した大金を返してからそうして欲しい!」と思ったのです。家庭をないがしろにしてまで、実家にばかりつぎ込む夫を、敵として見てしまい、良いところを全部持って行ってしまう夫の実家を、ライバルのように思ってしまいます。
「敵を愛せ」という、自分を裏切る相手を愛して祈るというのが、私の課題です。これを乗り越えないと、家族以外の第三者を愛することなどできないです。(爾)
祈りにより愛せるように
自分も夫を愛せない時がありました。元々私たちは愛せない者なのです。主が力をくだされなければ、無理です。でも祈り続ければ、必ず愛せるようになりますから!(寂)
過去の自分を思い出して
実は昨夜、自分が若い時に弟にとっていた態度を思い出し・・その罪の汚さに眠れなくなっていました。2つ年下の弟は、当時背も高くハンサムで、優しくてスポーツもできるので女子たちの憧れの的でした。そんな弟を、年下の彼氏以下のしもべのように扱い、自信満々で弟の周りの女子たちに対して、上から目線の傲慢な態度をとっていたのです。姉妹のお話を聞き、自分とお姉さんが重なりました。自分の罪は、イエス様が十字架にかかってくださらなければならない程に、深いのだと思います。(晴)
弟子になるための芋洗い
「芋洗い」自分の中のものを、出すからぶつかる。私はそれを出していないだけかも・・。私も芋洗いに加えてください。(香)
上(天)で、弟子になろうとしている人と認められれば、必ずお互いをぶつけられます。弟子になろうとしていなければ、放っておかれます。
それは本人が一番楽しくない。(肉という皮を)剥かれていって(その時は痛いけど)、新たな感受性(理解できる心)が与えられ、視野を広げることができます。そして、そこには喜びがあります。
私も元々内向的なので、いつも黙っていました。イエス様に「なんでこうなんだ」と聞かれ、神学生時代にも「存在そのものが気にくわない」などガンガン言われることがありました。そうやって変えられていくのです。(堂仙)