耶蘇上帝會 太秦之宮

京都・太秦を拠点とする日本のキリスト教会です

礼拝message 1月27日(水)

礼拝message 1月27日(水)

ダニエル9:1〜21

ダニエル9:2~6
2「すなわち、その治世の第一年に、私ダニエルは、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った」
4「私は、私の上帝、主に祈り、告白した。『ああ、私の主、大いなる恐るべき上帝。あなたを愛し、あなたの命令を守る者には、契約を守って恵みをくださる方」
5「私たちは罪ある者で不義をなし、悪を行って逆らい、あなたの命令と定めから外れました」
6「私たちはまた、あなたのしもべである預言者たちが、御名によって私たちの王たち、首長たち、先祖たち、民衆すべてに語ったことばに、聞き従いませんでした」

ヤコブは、義人の祈りには大いなる力があると言っていますが、ダニエルの祈りは義人の祈りです。
それはとりなしの祈りであり、自惚れがなく見せかけがありません。
太秦の群れが、このダニエルのように祈れるようになれば、主の御わざが速やかに現されるでしょう。
このような祈りができるように、みなさん早く成長してください。
ダニエルの祈りを下敷きとして、祈りを学んで欲しいのです。

イスラエルの北の十部族と南のユダ族は、シルクロードを通り、日本に渡って来ました。
日本には多くのユダヤ人たちが来ていて、秦氏(原始キリスト教徒)たちが多く住んだ太秦という地名が残されました。
太秦とは、イエス・メシアのことです。
これははっきり言って信仰です。
私はこのことを信仰によって受け取り、残りの人生を主に捧げて、「京都に行こう」と決めました。
そして今、太秦の穴蔵で一人祈っているわけです。

何故日本には、二発の原子爆弾が落とされたのでしょうか。
長崎には、隠れキリシタンが数多くいました。
何故わざわざ長崎に?
神学生の時から、私はずっとそのことを主にお尋ねしていました。
全てのことは主のお許しがなければ起きません。
何故でしょうか?
主は必ず報いをなさるお方だからです。

今ウイグルで大変な迫害が起きています。
多くの人が許されないことだと声をあげています。
しかし、私は敢えて言います。
ウイグルの歴史はどうだったのですか?
そこには必ず理由があります。

それぞれのクリスチャンは、その置かれている国の運命共同体です。
日本という国、歴史そのものを自分が負わされた罪として受け止めていますか。
日本はある意味とても祝福されています。
主は、恵みを与えた者には、要求をされます。
旧約聖書で、ユダヤ人は選ばれた民でした。
それは責務を、主の栄光を背負うということです。
主の責務という要求に応答していなければならないのです。
これが責任です。
あなたがクリスチャンなら、このことを自覚して欲しいのです。
多くのクリスチャンは、まるで傍観者のようです。
クリスチャンは、イエス様が負託して下さったものを背負っている者です。
主が「選んで下さった」ことに答えるという責任が生じるのです。

イエス様が皆さんを選んでくださったのは、「わたしは正しい人を招くために来たのではない」と言われている通りです。
あえてこの世の無きに等しいものを選んで、主の偉大さ、素晴らしさ、アガペーの愛を証しさせようとしておられるのです。

選ばれた人々を通して、イエス様が主の主、王の王であることを証しさせたいのです。
この世は、主の皇国の素晴らしさを知りません。
あなたは、主ご自身のご計画の中で選ばれているのです。
主のアガペーの愛の中で、養われ育てられなければなりません。
「主のみこころは何ですか?」と問い、理解することができなければ、主が期待され託されたことに答えることはできません。

聖書は何のためにあるのですか。
ご利益宗教であるならば、こんな分厚い聖書は要りません。
私たちが成長し、聖書から主のみこころは何かを学び、主の負託に答えるために聖書はあるのです。

ダニエルは、選ばれた民としての連帯責任を告白しています。
何故イスラエルの民は、捕囚の状態であるのか。
しかしまだ希望が残されていることを、ダニエルは知っていました。
主が、自分とご自分の民を愛されていることを知っていたからです。

モーセは「このイスラエルの民を捨てないでください!」と叫びました。
「この民には、あなたの名がかかっているからです。それなのにこんなことで良いのですか。私の主なる方よ!」と取りなしたのです。
民が堕落している状態は、この世を支配する霊に笑われています。
「お前たちに一体何ができるのか?」と。

クリスチャンは、自分が救われたからどうのこうのと言うような小さいことで終わってはいけません。
「主なるお方が、こんな私のために死んでくださったのだ!」という大いなる感動がありますか。

クリスチャンが手を置けば、病人は癒されます。
しかし、私は日本では手を置くことをしたくありません。
何故なら、日本人はすぐ人を拝むからです。
そして、うちの教会のメンバーであるとか、お金の話になります。
クリスチャンは、恵みをただで戴いたのですよ。
ただで癒し、解放すれば良いのです!
みなさんには、主から賜物を戴いて、苦しんでる人々を助けてほしいのです。

あなたの信仰を強めるには、必要なのは異言です。
自分の罪を悔い改め、イエス様から戴いた新しい命の上に、聖霊と火のバプテスマを受けるのです。
異言の祈りを捧げてください。
言葉として主の前に捧げるのです。
周りの人々のためにです。
この世には失望している人が多すぎます。

奇跡としるしが伴うと、悪霊が寄ってきて「あなたはすごい!」とプライドをくすぐってきます。
しかし、そこでイエス様に従う訓練をしてください。

イエス様は、何故ベテスダの池で38年間寝たきりだった病人のところに遣わされたのですか。
何故、他にたくさんいる病人にではなかったのでしょうか。
イエス様は、父のみこころの通りに行われたのです。
では父のみこころ、主の栄光をどのように現すのですか?

上帝の国と義を第一に求めることです。
山上の垂訓には何と書いてありましたか。

マタイ5:3〜10
3「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」
4「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです」
5「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」
6「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです」
7「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです」
8「心のきよい者は幸いです。その人たちは上帝を見るからです」
9「平和をつくる者は幸いです。その人たちは上帝の子どもと呼ばれるからです」
10「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」

垂訓とは教訓のことです。
人間としてどのような人間になっていくべきかという道徳上の教えです。
このようなものが品性として備わっていなければなりません。
柔和、へりくだった者という条件が欠けていたら無理です。
難しいけれど、イエス様の命からは、このような芽が出ます。
あなたがイエス様に従順な道を選ぶなら、あなたを変えて品性を与えてくれます。
しかし、あなたが自分を捨てていることが条件です。
イエス様の命があっても、それを自分で潰しているのです。

イエス様はあなたの名を呼ばれているのに、絶えず逆らって来たのです。

ダニエル9:19
「主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、心に留めて事を行ってください。私の上帝よ、あなたご自身のために、遅らせないでください。あなたの都と民には、あなたの名がつけられているのですから」

主の御名の栄光のため、イエス様の素晴らしさを、証しせねばなりません。
山上の垂訓は、クリスチャンとしての基礎、あり方が示されています。
そのように造り変えられていないと、主の使命には応えられません。

マタイ6:33
「まず上帝の国と上帝の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」

何故、上帝の国と義をまず求めよと言われているのでしょうか。
上帝の国は、イエス様が治められる国です。
それは千年王国であり、天の故郷でもあります。
弟子たちが、その存在を通して、イエス様の治める王国の素晴らしさを現すのです。
それはクリスチャンの内におられる、イエス様が支配しておられる国です。

イエス様の血と御名によって、その御翼の影に守っていて下さるのですから、毎日感謝を捧げれば良いのです。
人の名誉もお金も腐っていきます。

ダニエル9:16〜19
16「主よ。あなたのすべての義のわざに従って、どうか御怒りと憤りを、あなたの都エルサレムから、あなたの聖なる山から去らせてください。私たちの罪と私たちの先祖たちの咎のゆえに、エルサレムとあなたの民が、私たちの周囲のすべての者にとってそしりの的となっているからです」
18「私の上帝よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている都をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです」

とりなす、というのは民の罪を負うということです。
ここでダニエルは、先祖の罪を自分の罪のように告白しています。
明治天皇は、神道はユダヤ教であると発言されました。
三笠宮殿下もその事を多く調べておられました。
しかし、私たちの先祖はその事実を隠したのです。

何故、このダニエルのような祈りを、私たちが捧げねばならないのか。
何故、日本には二発も原子爆弾が落とされたのか。
この日本という国を、主がどれほど養い育て、守って来てくださったのか。
考えれば分かります。
主は、打たれるのです。
上帝に選ばれたユダヤの民は、アッシリアとバビロニアに捕囚にされました。

日本の今のこの現状を見てください。
多くのクリスチャンは、日本の歴史という事実を見ようとしません。
見たとしても、日本とイスラエルのルーツを見て、ほくそ笑むだけです。
日本の罪を自分の罪として、主の前に祈らなければなりません。
上帝の豊かな恵みを受けているのを知っていながら、隠しているという事実を。

イエス様は「わたしを見た者は、父を見たのです」と言われました。
クリスチャンは、御子イエス様だけを拝み、それ以外は拝みません。
イエス様を通してでしか聖霊は働きません。
ペンテコステ派は「聖霊だけで良い」と言って、まるで聖霊を拝んでいるようです。

ヨハネ3:36
「御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、上帝の怒りがその上にとどまる」

聖霊の御わざのみを主張するのと、御子イエス様に聞き従うのは違います。
ここで上帝の怒りがとどまる、と言うのは、クリスチャンの上に主の怒りがとどまるということです。
Iコリント11章で聖餐式を軽んじている者の中に、死んだ者が多くいるとあります。
上帝の怒りです。
心のどこかで主を馬鹿にしているからです。

クリスチャンが、若くして早死にしてしまうことがあります。
それはこの世と同じ裁きを受けないためだと私は思っています。
これ以上生きていると、悪霊に使われてしまうので、これ以上罪を犯さないように早く死んでしまうのです。
これは主の憐れみであって、地獄に行かないためです。

ダニエルのような、祈りのとりなし手になるとガブリエルが来てくれます。
そして、あなたに教えて良い範囲で教えてくれます。
ガブリエルは、主から託された範囲でしか話しません。
主が教えてくださるのは、あなたの成長度合いにかかっています。
内面、品性といったものです。
主は何故、あなたに教えられないのか。
それは傲慢にならないためです。

アメリカのトランプ元大統領を、ヒーローのように言う人々がいます。
しかしこの世は悪き者の支配下にあります。
そこで主の御名があがめられているのですか?
主はどのような器も用いられます。
人間は完璧を目指していても、弱さを背負っています。
しかし、主が大事な所に用いてくださる可能性があります。

いつまでも自分のことばかり祈っているようではいけません。
あなたの生活のことは主にお任せしていれば良いのです。
上帝の国と義を祈る者となってください。
早くそのように成熟してください。
今の時代は、ダニエルのような祈りのとりなし手を求めています。
日本という国が、主から愛され選ばれているなら、主に栄光をお返ししなかった場合のペナルティも大きいのです。
そして、私たちはこの日本に生かされているのですから。
本当に時間が無くなって来ています。

文責 菅原はれみ

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