耶蘇上帝會 太秦之宮

京都・太秦を拠点とする日本のキリスト教会です

信仰生活

群衆だった惨めな自分

昔の近隣トラブル

 今、中学2年生の長男が、小学校入学時に今住んでいる所に引っ越してきたのですが、その時に仲良くなった男の子と様々なトラブルがあり、そのお母さんが何度も家に怒鳴り込んでくる事がありました。子ども同士の喧嘩なので、うちの子が100%悪い訳では無かったのですが、その時は引っ越してきたばかりというのもあり、そのお母さんの剣幕に圧倒されて、謝るしかできませんでした。

過去の記憶がよみがえり

それから何年も経って、そんな記憶も薄れてきた最近、その子の弟とうちの次男がトラブルになり、担任の先生が家まで来られました。その時に、「またか・・!」と過去の記憶が蘇り、ものすごく嫌な思いになりました。人の奴隷になってはいけない、とみことばにあるのに、当時はまるで奴隷のように、卑屈な思いに捉われていました。

許していたつもりでも

それに、彼女を許していたつもりでも、色々と言われた嫌な事を思い出して、怒りも出て来ました。でも天を見上げたら、私は永遠なるイエス様を知らされているのに、何と小さい世界にいるのだろう、と肉の怒りにかられている自分が馬鹿らしくなりました。

 思えば当時の私は、教会に通いながらも、イエス様の弟子ではなく、群衆の一人でした。子どもを通してあのような状況に置かれることで、イエス様は私の惨めな状態を教えて下さったのだと今は分かります。

イエス様について行く

今は、足りないながらも、何とかイエス様について行き、イエス様の栄光のために用いられたいと願っています。どうしようもない状態だった私を、イエス様が憐れんで訓練して下さった事を感謝しています。メッセージにあったように、イエス様に従っていく生活の中で、確かにイエス様が共にいて下さることが、周りにも明らかに示されるように、従順を学んでいきたいです。