
黙示録20章
2種類の裁き
今日は、裁きについて考えてみたいと思います。
裁きには、2種類あります。
1.メシアの御座の裁き
2.大いなる白い御座の裁き
ダニエル12:2
「ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に」
1.メシアの裁きの御座に立つのは、携挙された時のクリスチャンです。
これが、最初の裁きと報いです。
「永遠のいのちに至る復活」です。
2.大いなる御座の裁きは、第一の復活にあずからなかった者が、千年王国の後になされる裁きです。
「恥辱と永遠の嫌悪に至る復活」です。
この二つのことは、まるでひとつであるかのように、一枚の絵の中に描かれています。
ヨハネ5:28,29
28「このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです」
29「その時、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえって裁きを受けるために出て来ます」
ヨハネ16:12,13
12「あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐えられません」
13「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます」
黙示録20:4〜6
4「また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと上帝のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、メシアとともに千年の間、治めた」
5「残りの死者は、千年が終わるまでは生き返らなかった。これが第一の復活である」
6「この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは上帝とメシアの祭司となり、メシアとともに千年の間、治める」
歴史の中で、聖書の啓示そのものが、だんだんはっきりとして行きます。
啓示が進むと言えば良いでしょうか。
メシアの国(千年王国)の前に起こる義人の復活(携挙の時、第一の復活)と、世の最後(千年王国の後)に起こる一般的な復活(白い御座の裁き)のという、この2つの違う事象をひとつの絵のように描いているのです。
イエス・メシアの日
ピリピ1:3〜6
4「あなたがたすべてのために祈るたびに、いつも喜びをもって祈り」
5「あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています」
6「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、メシア・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています」
ピリピ2:16
「いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、メシアの日に誇ることができます」
Iコリント1:8
「主はあなたがたを最後まで堅く保って、私たちの主イエス・メシアの日に責められるところがない者としてくださいます」
メシアの日は、皇民の群れが天にあげられる日、携挙の日です。
クリスチャンは、イエス様の光の前にさらけ出され、善であれ悪であれ、地上での行いの報いを受けるのです。
IIコリント5:10
「私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、メシアのさばきの座の前に現れなければならないのです」
土台の上に何を建てるのか
Iコリント3:10〜15
10「私は、自分に与えられた上帝の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません」
11「だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・メシアです」
12「だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると」
13「それぞれの働きは明らかになります。『その日』がそれを明るみに出すのです。その日は火と共に現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです」
14「だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます」
15「だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります」
クリスチャンは、メシアの日にどのような報いを受けるかが決定します。
褒賞を受けるか、損失を受けるかです。
それぞれの人生の働きの真価を、メシアの日に火で試されるのです!
Iコリント4:1〜5
1「人は私たちをメシアのしもべ、上帝の奥義の管理者と考えるべきです」
2「その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです」
3「しかし私にとって、あなたがたにさばかれたり、あるいは人間の法廷でさばかれたりすることは、非常に小さなことです。それどころか、私は自分で自分をさばくことさえしません」
4「私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。私をさばく方は主です」
5「ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、上帝からそれぞれの人に称賛が与えられるのです」
メシアの日は、クリスチャンを待っている裁きの日です。
あなたは、メシアという土台の上に、何を建てていますか?
またどのような材料を使って建てていますか?
クリスチャンは裁きを甘く見ているのです。
火を通され、真価を試される日が来るのですよ。
携挙される者は、どんな時代であっても、苦しみながらも必死にイエス様に従って来た者です。
忠実に、です。
主はその日にあなたに何と言われるでしょう。
「貧乏なのによく頑張ったな」と言われるのか「金持ちなのに、やったのはこれだけか」と言われるのか、どちらでしょう。
裁きの公正さ
コロサイ3:24,25
24「あなたがたは、主から報いとして御国を受け継ぐことを知っています。あなたがたは主メシアに仕えているのです」
25「不正を行う者は、自分が行った不正を報いとして受け取ることになります。不公平な扱いはありません」
あなたが、普段の生活でやっていること、どのような仕事であっても、「私は、主、メシアにお仕えしているのだ」という態度をライフスタイルにして欲しいのです。
イエス様に不公平さはありません。
この裁きの公平さが、いかに慰めであるか。
人間の基準、メジャーは本当に不公平だからです。
自分の目には、物事はまともに見えません。
すべてが歪んで見えるのです。
自分が人や物事を評価する時、生まれつきの好き嫌いや癖が出てしまいます。
イエス様の裁きが本当に公正であることを、裁きへの慰めとしてください。
天の地位
聖書のみことばから、天の御国の素晴らしさ、裁きの厳粛さをビジュアルに見て欲しいのです。
YouTubeの動画の証などではなく、みことばから直接、イエス様に教えてもらってください。
「それゆえに自惚れや感情を捨てて、聖書を最も高いもの、至聖所と見なそう。聖書は最も豊かな鉱山であって、いくら掘っても掘り尽くせない。主は上帝としての知恵を優しく示しておられる。傲慢を崩しておられる。厩戸に生まれた方の産衣は粗末な限りであるが、その中におられるメシアは高価な者である」これはルターの残した言葉です。
マタイ5:19,20
19「ですから、これらの命令の最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます」
20「わたしは、あなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません」
すなわち、天の御国において、高い地位と低い地位があるのです。
それは、信仰そのものが決定します。
みなさんには、この事実をしっかり覚えて欲しいのです。
律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、天には入れません。
イエス様が言われたことなのですよ。
彼らは、立派な義を持っていました。
あなたの義は彼らにまさっていますか?
私は、自分は危ないな、と思っています。
天国に入るには、火で試されるのです。
クリスチャンが試される炎です。
シャデラク、メシャクャク、アベデ・ネゴが放り込まれたとてつもなく熱い炉のようです。
イエス様の炎は、強烈です。
義人でも辛うじて救われるのです。
ライフワーク
Iヨハネ2:28,29
28「さあ、子どもたち、メシアのうちにとどまりなさい。そうすれば、メシアが現れるとき、私たちは確信を持つことができ、来臨のときに御前で恥じることはありません」
29「あなたがたは、上帝が正しい方であると知っているなら、義を行う者もみな上帝から生まれたことが分かるはずです」
私たちが、メシアのうちにとどまる理由は、御前で恥じることのないためです。
イエス様から離れたら、すぐに暗闇で覆われてしまいます!
イエス様から離れ出るなら、完全に無防備になり、何も守ってくれるものがありません。
イエス様の命令を守る者(従う者)が、メシアにとどまっている人です。
みなさんのライフワークは何ですか?
ライフワークとは、一生かけてする仕事や事業のことです。
それは、メシアの裁きの日に判決が下されます。
あなたが地上でなしたことが、焼き尽くされるのか、または残るのか。
クリスチャンライフは、片手間仕事(本業の合間にする仕事。簡単な作業)では無理です!
一生をかけて成し遂げる仕事です。
主の弟子として地上の人生を全うした者は、永遠の御国、千年王国で、み使いをも裁く者となります。
ヨハネ5:24「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの言葉を聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、裁きにあうことがなく、死からいのちに移っています」
これは、大いなる白い御座の裁きのこと(全人類の未信者への裁き)であって、クリスチャンに全く裁きも報いもないと言うことではありません。
主にとどまる
ロマ8:1,2
1「こういうわけで、今や、メシア・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」
2「なぜなら、メシア・イエスにあるいのちの御霊の法則(新改訳、脚注訳)が、罪と死の律法からあなたを解放したからです」
メシアに結ばれて、イエス様とひとつになっている者が、罪に定められることがないのです。
(自分勝手に信じている者ではありません)
イエス様と共に死んだ者は、自己中心の自分から開放されています。
死んだ者は自由だからです。
イエス様と自分を結び合わせて、その十字架の死と復活にあずかるのが、いのちの御霊の原理です。
ぶどうの枝の例えと同じです。
「わたしにとどまれ!」と主は言われています。
イザヤ53:2,12
2「彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地からでた根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない」
12「それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする」
あなたの信じるという中身は何ですか?
イエス様が、あなたの保証人となってくださいます。
イエス様が、あなたの身代わりとなってくださったのです。
クリスチャンの裁き
Iコリント3:13
「それぞれの働きは明らかになります。『その日』がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです」
その日、裁きの日は、とんでもないショッキングな事件です。
火の中を通され、その身は救われても、いのち辛々(からがら)救われるのです。
これが現実です。
あなたは、天の御国に入った時、どこにいるのでしょうか!?
私は、天の御国の端っこで、門番にでもしてもらえたら良いと思っています。
まだ家内が生きていた時に、ある夢を見ました。
ラザロと金持ちの光景のように、天国と自分のいる所の間には、暗くて深い深い縁がありました。
とても通れるものではありません。
遠くの遠くに小さく、天国にいる人が見えました。
そこからみ使いが飛んで来て、私と一緒にいる人たちに白い衣を着せました。
そうするとその衣を着て、天国にスーっと飛んでいくのです。
私は一人残され、「イエス様。私は御国には入れないのでしょうか」と言いました。
するとみ使いが飛んで来て「お前にはこれがある」と言って、ピンクの着物を着せてくれました。
「えっ、ピンクですか!?」と言っているところで目が覚めました。
ですから、真剣に考えて欲しいのです。
裁きの現実を。
実践的に忠実に生きようではありませんか!
永遠の御国に至る門戸は、忠実ならば、開くのです。
人の見る評価と、イエス様の見られる評価は違います。
隠れたところの忠実さが大切なのです。
IIコリント4:1〜5
1「こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めについているので、落胆することがありません」
2「かえって、恥となるような隠し事を捨て、ずる賢い歩みをせず、上帝のことばを曲げず、真理を明らかにすることで、上帝の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています」
3「それでもなお私たちの福音に覆いが掛かっているとしたら、それは、滅び行く人々に対して覆いが掛かっているということです」
4「彼らの場合は、この世の神が、信じない者たちの思いを暗くし、上帝のかたちであるメシアの栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしているのです」
5「私たちは自分自身を宣べ伝えているのではなく、主なるイエス・メシアを宣べ伝えています。私たち自身は、イエスのためにあなたがたに仕えるしもべなのです」
まさにこのみことばの通りです。
人に誤解されても構わないのです。
人の評価はどうでも良いのです。
私のうちにおられるメシアの霊に忠実であるかどうかです。
管理者に求められるのは、忠実さだからです。
クリスチャンの裁きは三つあります。
1.罪人として
2.子として
3.しもべとして
1.罪人としての裁きは、すでに執行されています。
過去に裁かれています。
イエス様の十字架の身代わりの死によってです。
私たちの平安のために、イエス様は死んでくださいました。
2.子としての裁きは、今現在裁かれています。
(子として、悔い改めを通して聖められるためです)
3.しもべとしての裁きは、メシアの日(携挙の時)、クリスチャンの裁きと報いの時です。
主の訓練
Iコリント11:27〜30
27「したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります」
28「だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい」
29「みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです」
30「あなたがたの中に弱い者や病人が多く、死んだ者たちもかなりいるのは、そのためです」
病気や、アクシデントが起きた時、すぐに「癒してください。祈ってください!」と言ってしまうのは間違っています。
「イエス様、これは何のためですか?私に何か問題がありますか?」と祈るべきです。
イエス様は、病気やアクシデントを通して、あなたに何かを教えておられるのです。
ヘブル12:10
「肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです」
失敗や痛い目にあった時、「私は何か間違っていますか?何か問題ありますか?」と主の前にへりくだるのが、クリスチャンです。
主は、躾(しつけ)のために、訓練しようとされているのです。
あなたは、イエス様の裁きの御座の前に立った時、どんな仕事をしてきたことを見せられるのでしょうか。
毎日、少しずつしか建てられません。
一生をかけて、イエス様に報いて頂けるような人生を送ったのでしょうか。
この世のものは過ぎ去り、影があります。
しかし天国には影はありません。
以下の内容は、交わりの時に話されたものです。
職場で理不尽なことがあっても、クリスチャンにとっては、イエス様は希望の上帝です。
主が、全てを見て管理し支配されているのだからです。
あなたが、イエス様をどのようなお方と思っているかです。
イエス様が何かをしてくださると、感謝し期待して、待っているかどうかです。
そうであれば、どんなことがあっても感謝できるのです。
つぶやきか、感謝かどちらかです!
エジブトを出た民は、どうやって生きていたのですか。
畑も耕していませんでした。
主から与えられたものだけを食べて生きていたのです。
日常生活の中で、与えられたものを、どう感謝し、信頼して生きて行くのか。
みことばを通して「私の一生をお任せして良いのだ!」という生きておられるイエス様との関係を土台として、判断すればよいのです。
信仰は、これからどうなるか分からないで出ていくものです。
アブラハムは、主に呼び出されて従いました。
どこに行くのか、分からないで出て行ったのです。
信仰は、先が見えない、どうなるか分からない時に、主に感謝して楽しむことです。
これからどうなるのか、イエス様に期待しているのです。
文責 菅原はれみ
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