
申命記11:1,8〜12,22〜29
12:1〜8,12:28〜13:18
わたしの命じることばに聞き従いなさい
申命記
11:1「あなたはあなたの上帝、主を愛し、主への務めを果たし、主の掟と定めと命令をいつも守りなさい」
12:28「気をつけて、わたしが命じるこれらのすべてのことばに聞き従いなさい。それはあなたが、あなたの上帝、主の目にかなう良いことを行って、あなたも後の子孫も永久に幸せになるためである」
唯一の主を愛しなさい
申命記6:4,5
4「聞け、イスラエルよ。主は私たちの上帝。主は唯一である。
5「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの上帝、主を愛しなさい」
レビ19:4
「あなたがたは偶像の神々に心を移してはならない。また、自分たちのために鋳物の神々を造ってはならない。わたしはあなたがたの上帝、主である」
イエス様が律法全体の要約として、私たちに求めておられるのは主を愛することです。
イエス様の言葉は上帝の命令です。
イエス様は唯一の指導者であり、全てを統治、支配しておられるお方です。
だから弟子は、この偉大なお方を「主イエス様」と呼ぶのです。
イエス様を通してのみ、天の父のみもとへ
ヨハネ14:6
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません』」
このみことばにあるように、祈りでさえイエス様を通してでなければ天の父は聞かれません。
「イエス様のお名前で求めるならば」聞いてくださるのです。
イエス様だけが唯一のとりなし手であり、祭司です。
イエス様のいのちを持っていなければ、天の父を「父」とは呼べません。
イエス様のいのちがあるからこそ、天の父を「父」と呼ぶ特権があるのです。
日本人は、とてもヒューマニズム的(人間中心的)な文化背景を持っています。
宗教に関しても折衷案です。
「和をもって貴し」となせばよいと思っているからです。
だから、日本人は宗教的には非常に危ないものを含んでいます。
ナハッシュとニヘッシュ
ヘブル語で蛇のことを、ナハッシュと言います。
子音だけとると「NHSH」となり、そこに別の母音を与えるとニヘッシュとなります。このニヘッシュの意味は、占い、魔術、易を見る、です。
つまり「蛇」の母音を変えると「占い、魔術」となるのです。
これらの語は子音だけ見ると、同じです。
蛇は女性に囁きかけます。
霊媒、占い、魔術、巫女など、霊的なものは女性が多いですね。
「蛇=悪霊」は、女性の弱さをよく知っています。
また、女性は言い当てる(推測する)のが好きだし、うまいですね。
「ほら、私が言った通りこうなったでしょ!」と。
これは占いと同じです。
この高ぶりや嘘を悪霊は利用します。
女性は悪霊から見ると、攻撃しやすいし操りやすいのです。
蛇が絡みついてペロペロ舐めているのです。
本人は気持ち良いのでしょう。下品だからこの辺でやめます!
(だから女っぽい男性ほど危ないですね。占いをやる男性はこういう人が多いです)
権威のもとに自分を置く
女性がベールを被るのはそのためです。
これは、私は誰かの権威の下に自分を置いています、というしるしです。
夫の上におられるイエス様の下に自分を置いておくのが、女性にとって安全なのです。
この立場をキープしておかないと危ないのです。
これはあなたが謙遜でないとできません。
傲慢で自己主張をしていたら無理です。
しかもキープ(keep)です。
この立場を保たねばなりません。
敵はあらゆる手段を使って、あなたの心をそらせようとします。
ここで注意しておきますが、悪霊につかれた人も「イエスは主」と言えます。
悪霊は「主は唯一」だと知っているので、非常に畏れています。
(悪霊は私たちよりずっとイエス様のことをよく知っています)
日本のクリスチャンには、この「主を畏れる」ことが抜けています。
本当に間抜けで足りない者です!
敵がこの大切なことを「抜いている」のです。
日本のクリスチャンは、敵が抜いていることに気付いていません!
新約の土台は旧約
全律法の要約は、申命記とレビ記に書かれています。
新約聖書の土台は旧約聖書です。
イエス様も旧約聖書の中から語られました。
旧約聖書の土台(根っこ)から、それが何故、いつ起きたことなのかなどを理解してから新約聖書を読まないと分かりません。
旧約聖書を無視して新約聖書だけ読んでいるなら、本当に間抜けた者となります。
信仰は気分だけが舞い上がったものではありません。
あなたの普段の生活はどうなっていますか!?
あなたがイエス様の弟子として生きているかどうかです。
私たちが生きる意義と目的は、イエス様にしかありません。
キリスト教では気分的高揚を愛と呼んでしまうことが多いですが、ここで愛について考えてみましょう。
1.アガペー(十字架で現された無償の愛)
2.フィレオー(友愛、人類愛)
3.エロス(a 性的、欲情に基く愛。b 倫理的、宗教的に高められた愛。聖なるものに対する憧憬、憧れ)
エロスは性的な愛だけではなく、宗教的に高められた愛として「聖なるものへの憧憬」が含まれます。
例えばヨーロッパのカトリックの神秘的境地を目指した画家の描く女性には、必ずエロス(性的な意味での)が入っています。
何故エロスを感じさせない女性を描かないのか。
(日本の着物などは良いですね)
清いものへの憧憬、憧れは、宗教的清さを求めます。
このエロスには、蛇の足跡がついています。
悪霊が「私が満たしてあげる!」と来るのです。
まさに蛇(ナハッシュ)と魔術(ニヘッシュ)の言葉の示す意味は同じなのです。
キリスト教の愛は、簡単に倫理的、宗教的なエロスに置き換えられてしまいます。
だから新約聖書の訳では、このエロスという言葉を使うのを拒絶したのです。
霊を見分ける者が必要ですね。
日本には審神者(さにわ)が神道の中にいますが、ユダヤ教から来ているのでしょう。
(注:さにわとは、古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者のこと)
日本の皇統が、男性にしか受け継がれないY染色体にこだわるのは理解できます。
エズラ記やネヘミヤ記に書いてあるように、血統にない者が外されるからです。親は誰?血筋はどうなってるのか?と。
日本には、ユダヤ教のヘブル的なものと新約のキリスト教的なものが入って来て混ぜられています。
それが宗教的文化的な土台となり、まがまがしい物になっています。
(それを聖いものだけ取り出して主に捧げるのが、太秦之宮の役目だと思っています)
主を愛しているのか試みられる
申命記13:1〜5
13:1「あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現れ、あなたに何かのしるしや不思議を示し」
2「あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、『さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう』と言っても」
3「その預言者、夢見る者のことばに聞き従ってはならない。あなたがたの上帝、主は、あなたがたが心を尽くし、いのちを尽くして、本当にあなたがたの上帝、主を愛しているかどうかを知ろうとして、あなたがたを試みておられるからである」
このユダヤ人の姿は、新約時代のクリスチャンの雛形です。
キリスト教会で、「私が夢を見た通りになりました。夢が当たりました。私ってすごい。私は霊的であなたより優っている!」とこのような姿をよく見かけます。
申命記18:9〜13
9「あなたの上帝、主があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたは、その異邦の民の忌み嫌うべき習わしをまねてはならない」
11「呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない」
12「これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。これらの忌み嫌うべきことのゆえに、あなたの上帝、主はあなたの前から彼らを追い払われるのである」
スピリチュアルなもの、悪霊的なものを主は拒絶されます。
No!と。
だから民は追い払われているのです。
霊的なものに対して日本人もルーズです。
夢を見たとか、しるしとか、スピリチュアルなものが好きですね。
これは、主が試みておられるのです。
主が、偽物の預言者がいることを許しておられるのです。
私たちは霊を見分けることができるまでに成長しなくてはなりません。
子供っぽいままでいてはいけません!
人(リーダー)にくっついて行ったり、人に聞いたりするからです。
イエス様に聞いて、イエス様に祈りなさい!
人に聞いた方が簡単だから流されるのです。
イエス様が、ワンダフルカウンセラーなのです。
クリスチャンが羊飼いなるお方を無視して人に頼り、自分の考えに頼るなら、もうアウトです。
良いことをしたとしても「死んでいる」者です。
いのちの源はイエス様ご自身だからです。
サマリヤの女性はいのちの水を求めました。
イエス様ご自身からいのちの水を飲んで、イエス様と同じ目線で物事を見ることが必要です。
未熟な信仰で未熟な聖書の読み方をしているなら、大切な所を敵に抜かれてしまいます。
そのような人は役に立ちません。
まとめると、悪霊はクリスチャンに対して「予感が的中した!しるしが見えた」と誘惑してきます。
「私には預言の賜物があるわ」と女性が思ったら、悪霊の勝ちです。
一丁上がり!ということです。
女性は、スピリチャルなことに本当に気をつけてください。
ひっかかります。
あなたは誰に仕えているのですか?
生き方すべてがイエス様のためなら、イエス様ご自身が守ってくださいます。
そうでなく、肉(悪霊)に仕えるなら敵は笑っています。
簡単です。ニヘッシュ(魔術、占い的なもの)でコントロールできるからです。
本当に怖いのは、イエス様がそのことをお許しになっていることです。
スピリチャルなことを通して、あなたを試しておられるのです。
みことばに聞き従おうとしているのかどうか、主は見ておられるのです。
エレミヤ2:1〜3
1「次のような主のことばが私にあった」
2「さあ、行ってエルサレムの人々に宣言せよ。
『主はこう言われる。
わたしは、あなたの若いころの真実の愛、
婚約時代の愛、
種も蒔かれていなかった地、荒野での
わたしへの従順を覚えている』」
旧約聖書の中には、今のクリスチャンより麗しい姿があります。
ここで、二つの言葉を覚えていただきたいのです。
1.ヘッセル(若い時の純情)
2.アハバー(花嫁の愛。アガペー)
「ヘッセル=若い時の純情」は、初々しく瑞々しいものです。
クリスチャンがこのヘッセルを保つのがどれだけ大切なことか!
敵がいるからです。
敵はこの初々しいものを潰しにきます。
だから、母教会がガードして守らなくてはならないのです。
このヘッセルが「アハバー=花嫁の愛」に成長しなくてはなりません。
そして主への愛が揺るがないものになり、その愛が安定した生活に入るのです。
逆に、生まれつきの肉を磨けば頑固な者となり、肉で信仰生活をやる人になります。
「大丈夫、神は愛だから!」と自分の考えを頑なに変えません。
何故、イエス様に聞き従わねばならないのでしょうか?
歳を取るにつれて、色んな事が起きてきますね。
毎日毎日、生きておられるイエス様に「これはどういう事ですか?どうしたら良いですか?」と聞けるなら、内側の人は日ごとに新しくなります。
しかし、聞き従わない生活をしていれば、古い肉のままどんどん頑固になります。
しかしここで注意しなければならないのが、イエス様から自分の都合の良いことだけ聞こうとする態度です。
みことばも、自分の好きな所だけ。
都合の悪いことは聞きたくない、という態度で「この厳しいみことばは、私には関係ない」と言うなら、その人ほど、そのみことばが的を得ているのですよ。
祝福と呪い
申命記11:27〜29
11:27「祝福とは、私が今日あなたがたに命じる、あなたがたの上帝、主の命令に聞き従った場合であり」
28「のろいとは、あなたがたの上帝、主の命令に聞き従わず、私が今日あなたがたに命じる道から外れて、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行った場合である」
29「あなたが入って行って所有しようとしている地に、あなたの上帝、主があなたを導き入れたら、あなたはゲリジム山の上には祝福を、エバル山の上には呪いを置かなければならない」
何故ここで、ゲルジム山には祝福を、エバル山には呪いを、と言われているのでしょうか。
これは十字架の啓示です。
十字架を見て「呪いだ!」と叫ぶのは、サタンと悪霊です。
「祝福だ!」と叫ぶのは、贖われた者たちです。
イエス様に帰依する
ガラテヤ6:14〜17
14「しかし私には、私たちの主イエス・メシアの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました」
15「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です」
日本語では「帰依する」という仏教用語の方がぴったりと来るので、私はこの言葉をよく使っています。
意味は、服従し、すがること。
刑罰も恩恵もその中に含まれます。
私たちはイエス様に帰依し、そのみわざにすがっていく、服従していくのです。
イエス様は栄光の御座におられて、「わたしの名によって求めるなら何でもしよう」と言ってくださるのです。
すごいことが起こるのですよ!?みなさん、信じているのですか?
イエス様のみこころを知ろうともしないで、何を勝手にやっているのですか。
あなたの為すことを、主にゆだねなさい!
あなたのやっていることすべてが、御心とご計画の中にあるのかどうか確かめなさい。
イエス様に対して命がけかどうか、あなたの人生が証明するのです!
生ぬるいのか、本気なのか!?
イエス様に対する愛(純愛、花嫁の愛)を、主は旧約時代から求めておられます。
そして現代の私たちにも、主は愛を求めておられます。
イエス様の愛に燃えている女性は、美しいです。
男性はダビデのようであれ!
そうでなければ、いらないのです。
文責 菅原はれみ
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