ヨハネ8:31〜59
みことばの反芻
四つの福音書の中で、ヨハネの福音書は、私が最も大切にしている福音書の一つです。
イエス様、上帝なるお方、ご聖霊。信仰の疑念をもつ時、人生のいろいろな問題にぶつかった時、私はヨハネの福音書を何度も何度も読んできました。
そしてみことばを反芻するのです。
何度も練り食(は)んでみことばを理解することは、非常に重要です。
(反芻する動物に牛がいましたね。牛がきよい動物として旧約聖書で扱われているのは、とても面白いです)
ヨハネ8:58
「イエスは彼らに言われた。まことに、まことに、あなた方に言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです」
わたしはある
「わたしはある」という宣言は、全被造物に対し、絶対的支配者であるお方が、「わたしは永遠からある。そして永遠にある」=「わたしこそ上帝(神の中の神)である!」という宣言です。
つまり、「上帝(聖書の神御自身の自己啓示)はイエス様だけ」なのです。
(注:三位一体のように、上帝とイエス様、ご聖霊を三つに切り離して考えられるものではありません。分けられないのです)
これを聞いて、パリサイ人、律法学者は、天地がひっくり返るような衝撃を受けたでしょう。
聞こうとせよ
ご聖霊は、すべての真理(みことばの深み)に導くお方です。
みことばは、あなたの人生において(その時その時の年齢、体験において)、全く違う意味を持って迫ってきます。
みことばが、あなたを支配するのです。
(ただしイエス様が語ってくださっても、聞こうとしない者にはこのような体験はありません)
結婚
さて、結婚している方々。イエス様が引き合わせてくださった夫婦ですが、あなたは今倦怠期ですか?お互いが何となく、飽きた、嫌になった、などでしょうか?
私は、韓国の女性を妻としていただきましたが、結婚する時はもう舞い上がっていました。
「信仰深い国、韓国から来た女性。この妻(姉妹)に支えられて、これから信仰の飛躍ができる!イエス様が素晴らしい体験をくださるに違いない!」と期待していたからです。
私と妻は、韓国で結婚式を挙げ、その後1ヶ月間はそのまま韓国で生活していました。飛行機で韓国に降り立った時、空港で入管の人に「韓国には、牧師、伝道師は輸出したいほどいる。日本には牧師も伝道師も少ないのに、どうしてあなたは韓国に来たのですか?」と言われたことがありました。
今思うと、それはイエス様からの示唆の一つでした。
それからいろいろなことがあり、「やはり違うのだな」と気がつき、妻を連れて日本に帰国して教会を始めました。
ビジョン
韓国の牧師夫人は裕福なので、私の妻は、いろんなものがいっぱいもらえると思っていたようです。
しかし現実はそうはなりませんでした。私にはお金はなく、貧乏だったのです。
それで毎日すいとんを食べていました。
秋になると、隣からサンマを焼く匂いがするので、妻は「サンマが食べたい!」と、キムチを作る材料が買えなかったので「キムチが食べたい!」と、タンスに向かっておいおい泣いていました。
私には、「イエス様に命をかけていくなら、必ず祝福してくださる」というスピリットがありました。
イエス様がどれほど祝福してくださるか、素晴らしいビジョンが見えていたのです。
私の結婚に対する期待は、風船がしぼんでいくように消えていきました。
訓練
「なぜ、この姉妹と結婚したのか?」私には、ずっと疑問がありました。
しかし、「私のために」この結婚があったのです。
この姉妹を通して、イエス様は私を教え、悟らせ、悔い改めさせようとされたのです。
「主が私を訓練をしようとされているのだ」と気がついたのは、妻が癌で亡くなる少し前でした。
クリスチャンの証はきれいごとばかりです。私を見てください。
きれいごとで済みますか?
妻(夫)を裁くな
決して人を褒めてはいけません。そこに悪霊がいるからです。
褒められたらあなたの肉は喜ぶでしょう?
同時に、妻(夫)に対してパリサイ人、律法学者のようになってはいけません。あなたは妻(夫)に対して上から目線で裁いていませんか?
この世の夫婦と同じく「あなたが悪い」では、いけません。
マタイ3:6
「自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた」
聖書の「救い」
ほとんどのユダヤ人は、モーセの律法を破っていると自覚していました。彼らは、聖書を知っていたからです。
聖書(律法)を知らないと、罪の定義はわかりません。なぜなら、この世の犯罪という類の罪ではないからです。日本人クリスチャンの多くは、ここを勘違いしていると思います。
一般的に「救い」の意味を、広い意味で使うからです。
病気が癒された時、問題が解決した時、お金がないのに与えられた時、簡単に「救われた」と言ってしまいます。
しかし、これは「聖書の救い」ではありません。「聖書の救い」は狭い範囲で使います。
それは、罪、咎(とが)、滅びからの救いです。
自分の中に正しいものはない
この救いをあなたのものにしたければ、自分で聖書を読み、自分が罪を自覚して告白し、「この罪を赦してください!こんなことはやめます。イエス様を救い主として受け入れます。もうこの罪を犯したくないからです」と叫ばなくてはなりません。
聖書の救いは、罪を犯す自分からの救いであり、死と滅びからの救いです。
それはあなたを、罪から自由にします。
日本の多くのクリスチャンは、自分の罪を自分で告白していません。
牧師、宣教師から教えられたことを、ただおうむ返しに言っているだけです。また聖書すら自分で読んでいません。
あなたが救われたいのなら、自分で聖書を読んで、聖書の罪を知り、「救ってください!私の中に正しいものは何もありません」と言わなければなりません。
まむしの毒
マタイ3:7〜8
7「ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。『まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか」
8「それなら悔い改めにふさわしい実を結びなさい。』」
ヨハネは、「まむしのすえたち!」と叫びました。
まむしは、毒を持っています。
パリサイ人やサドカイ人たちは、「私は正しい」と思っていました。
自分たちは、上帝が正しいと認めてくださったから、祝福されて金持ちなのだと思っていたのです。
この「私は正しい」というのが毒そのものです。
悪霊がその人の中に居座っている証拠です。
そのような人は、信仰生活そのものが、悪霊によって成り立っています。
悪霊は囁きます。「お前は正しいのだよ。なんでもよくわかっているよ。情報通だよ」と。
こう言われると、肉には気持ちが良いのです。
あなたの内にまむし(悪霊)がいるなら、イエス様はおられません。一緒に住むことはできないからです!
教義や知識(あるいは体験すらも)プライドとなります。
自分を守るためにどんどんこういう態度を積み重ねて行くと、ひたすら自分の肉を強くすることになります。
絶対服従
Ⅱテサロニケ2:9〜12
9「不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、」
10「また、あらゆる悪の欺きをもって滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救うイエス様を愛をもって受け入れなかったからです」
11「それで上帝は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります」
主は悪霊すらも、お使いになります。
真理(イエス様)と嘘(悪霊)は同居することができません。あなたの中にあるのは、どちらですか。
肉は支配されたくありません、肉は自分が支配したいのです。
しかし、聖書はイエス様への絶対服従を要求します。
国の罪
この終わりの時、中国を見てください。
主の怒りが臨んでいるではありませんか。
中国の歴史の中で、立派なクリスチャンたちはたくさんいました。
何故今、このようなことになっているのですか?
これは、その国のクリスチャンたちの責任です。
クリスチャンは、自分の国の悪を、祈りによって阻まねばならないのです。
イエス様の心
例えば、誰かが祈ったとします。
人間が聞いている「熱心さ」と、上帝が聞いておられる「熱心さ」は違います。だまされてはなりません。
成長して、イエス様の目線で見ることができないと、役には立ちません。
人の見る「評価」と、イエス様の見ておられる「評価」は違うのです。
人を正しく「評価」できるお方はただ一人、イエス様だけです。
人間がすることではありません。
イエス様の「心、思い」が絶対に必要です。
あなたの内におられるイエス様の命が成長して、イエス様と同じ思いになっていないなら、この世と同じです。
すべての判断を見誤ります。
世のキリスト教は、どうしようもないヒューマニズムに陥っています。
惑わす霊
あなたの生活は、綺麗ごとになっていませんか。
綺麗ごとにしてはなりません。そんなものではないでしょう!
日本のクリスチャンたち、このような生ぬるい生活をしていると、主から悪い霊(惑わす霊)を遣わされてしまいます。
不思議やしるしだけに夢中になり、すべてが「気分」の問題になってしまいます。もう悔い改めることができなくなったら、最悪です。
太秦の群れは、十字架の愛を知って、イエス様を愛する者になって欲しいのです。
そしてイエス様に従って行くなら、イエス様に愛される人になります。
悔い改め
私の妻は韓国人でしたから(今は天国に帰りました)、私は在日韓国人の方々に伝道したいと求めていました。
ところが妻と生活するうちに、妻の韓国的な性格を度々見せられ、古い自分の肉の中から、嫌悪感と軽蔑が出てきたのです。
私は自分の深い所にある、民族差別意識に気づかされたのです。
主は言われました。「お前の中にこんな嫌なものがあるだろう?こんなものがあって、在日韓国人にどうやって伝道できるのだ?」と。
私は何度も、幼い長女を背中に背負って、畑の中で一人泣きました。
イエス様は決して妥協されません。愛する者をとことん聖くしようとされます。日常生活に働いて、悔い改めを求められるのです。
イエス様の要求
聖書には、「良き妻は夫の冠」だとあります。冠になれるのは女性だけです。
(みなさんは、まだまだ漬物石のように重いですね。それでは冠にはなれません)
女性は、「男性の弱さ、足りなさ」については、すぐに気がつきます。
クリスチャンの男性たちよ。妻の「こうあって欲しい」という要求は、イエス様から来ているのです。
イエス様が要求されているのです!
訓練を拒んだら、イエス様ご自身を拒むことになります。
夫が釘で、妻がトンカチです。大きなトンカチだと思うでしょう。
訓練だと受け入れたら、あなたは解放されます。受け入れないから、出口が無くなるのです。
さて、ようやく本題に入りましょう。もう時間がないですね。
ヨハネ8:50「わたしは自分の栄光を求めません。それを求め、裁きをなさる方がおられます」
ヨハネ8:54「イエスは答えられた。『わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光はむなしい。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。この方を、あなた方は『私たちの神である』と言っています』」
天の父が、イエス様の栄光を求めておられるのです。
詩篇102:12〜22
22「諸国の民や王国が 一つに集められて 主に仕えるために」
今この時代、このことが求められているのです。
千年王国のための下準備が、まさに今されなくてはなりません。
それから、千年王国が来るのです。
IIコリント10:1〜6
5「私たちは様々な議論と、上帝の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて(捕虜にして)、メシアに服従させます」
6「また、あなたがたの従順が完全になった時、あらゆる不従順を罰する用意ができています」
主に立ち返れ
今この時代、不従順な者たちを、イエス様に立ち返らせねばなりません!
神学校のある有名な先生に、このように言われたことがあります。
「私は、インサイダー。君はアウトサイダーだね。私と君は違うんだよ」
インサイダー:集団・組織の内部の人。部内者。正統派。
アウトサイダー:集団・組織の外部の人。部外者。仲間に加わっていない者。(社会の枠にあてはまらない独自の思想の持ち主)
「恵みにより信仰によって救われた」だから「信じればそれで良い」と言うキリスト教インサイダーに対し、太秦之宮は「主の命令に従順になれ!」と言うアウトサイダーの集まりです。
みなさん、嫌われますよ。覚悟はできていますか?
不従順なキリスト教会の中に、サタンが支配しています。みことばの通りです。本気にならねばなりません。
敵は、問題を起こして、私たちを駄目にしようとします。
無駄なことは無い
今回、腸のヘルニアのために、7月30日に入院をし、31日に手術を受けました。大腸癌の手術を受けた時とは、比べものにならないほどの痛みを経験しました。しかし、主は無駄なことは一つもされません。
看護師さんたちに職業を聞かれ、牧師であることを伝えました。
何故か私の高校の時から神学校までの話をすることになり、「つまらないからやめましょう」と言ったのですが、聞きたいと言われ、話しました。看護師さんは「私には悩みが多くて・・・」とだけ言われました。
このことのための入院だったのだと、主に感謝いたしました。
もう私はこのまま帰ってこなくて良い、と思っていたのですが、主が生還させてくださいました。お祈りありがとうございました。
以下は、交わりの時に語られた内容です。
1ペテロ1:18〜19
18「ご存知のように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず」
19「傷もなく汚れもない子羊のようなメシアの、尊い血によったのです」
伝道者の書5:2「上帝の前では、軽々しく 心焦ってことばを出すな。上帝は天におられ、あなたは地にいるからだ」
地に足をつけた祈り
あなたが祈る時、夢見る者のように祈ってはなりません。
韓国の教会やペンテコステ派によく見られるように、体を揺らして祈るのは、バアル礼拝の信者たちがやった祈りと同じです。
見えない存在に自分を投げて祈るのは、霊媒師のやることです。
「おゆだねします」と祈りながら気持ちよくなり、夢見る人のようになるなら、ヘビに絡みつかれています。(ヘビは生あたたかいですから)
感覚的なものに支配されてはいけません。
「支えられてるみたいな感じ」「愛されてるみたいな感じ」すべてが「○○みたいな感じ」です。
悪い霊にひざまづくなら(身をゆだねるなら)、それはあなたをコントロールして催眠状態にします。
祈っていて「おかしいな」と思ったら、「イエス様。これ変です。先祖から来ていますか?何ですか?捨てます。自由にしてください」と言い、イエス様の血潮の注ぎかけを求めてください。
私たちは、子どもとして、天の父に祈るのです。
はっきりと言って、はっきりと祈ってください。
主は全宇宙の創造者
多くの教会の建物の上に立っている十字架も、実は魔除けであり、おまじないの類いです。
単に、この世の霊に対して「ここは教会ですよ。入って来ないで!」と言うものです。
恐いから付けているのです。(恐がってる時点で、もう負けています)
太秦之宮にはそのようなものは必要ないし、おまじないの十字架を建物の上に立てたりはしません。
全宇宙の創造者である偉大なお方が守っていてくださるので、恐くないからです。
そんなことをしなくても主の宮であるなら、ご臨在で分かります。
イエス様は全地を支配されているのですから。
文責 菅原はれみ
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