耶蘇上帝會 太秦之宮

京都・太秦を拠点とする日本のキリスト教会です

礼拝message 7月22日(水)

礼拝message 7月22日(水)

エステル2:19〜4:10

愛がなければ

歴史作家の加治将一さんが、彼のYouTubeチャンネルで言われていた事をご紹介します。
『愛情がなければ何もできません。愛情の意味も分からないで、「学者になろう」「金儲けをしよう」「学校の先生になろう」「政治家になろう」…無理です!
愛がなければ、足元がグラグラです。何をやってもできないはず。
だって人間として一番大切なのは愛情ですから。
ところが、この国、愛情についてほとんで教えません。だから多くの人は、愛情とは何か、どうやって愛したらよいのか、どうやって愛されたらよいのか分からない。そして興味もない。
なぜ日本人が愛について見向きもしないのか…。』

彼は幼少期の頃、日曜学校に行っていたそうです。そのたった2年間にシスターから教えられた事が、彼の人生に大きな影響を与えたそうです。
それが彼の土台(聖書)なのだと知り、(彼の書籍には以前より注目していたので)ああ、やはりそうだったのかと、イエス様のされる事は本当に不思議だと、感謝しました。

一人一人特徴的な感性が

私が高校生の時、お昼ご飯を我慢して(お昼代にもらったお小遣い50円を貯めて)バイエルを買いました。男子校のボロボロの音の出ないピアノと向かい合っていた頃の話です。
ある時、ふとマル・ウォルドレンのAll Aloneというレコードの中古品を見つけて買いました。彼のピアノを聞いた時、ものすごく衝撃を受けました!音が話したのです。「お前に私の(黒人としての)孤独など分かるまい!」と。
私もずっと孤独だったので、孤独を知っているつもりでした。でも日本人の私には分からないのです。黒人のスピリットは違うからです。(私が彼と同じようにジャズをピアノで弾いても、ただの真似事になってしまいます)
イエス様は、一人一人に特徴的なプレゼントを与えておられます。あなただけにピンと来る感性(心の琴線に触れるもの)が与えられているのです。(私の場合は音でした)

感情は自我そのもの

イエス様とあなたとの間を邪魔するものは「感情」です。それは「自我」そのものです。「自我」は、「エゴ」「自負心」「自尊心」「プライド」とも言えます。

自負心:自分の能力、業績、仕事に自信や誇りがある気持ち
自尊心:自分の思想や言動などに自信を持ち、他からの干渉を排除する態度。プライド。

「自我」とは「感情のかたまり」であり、「自分の世界の中に立ち入られたくない」「触れられたくない」「私の感性の中に入るな!」という他人の干渉を受け付けないものです。

ガラテヤ2:19、20
19「しかし私は、上帝に生きるために、律法によって律法に死にました。私はメシアと共に十字架につけられました。」
20「もはや私が生きているのではなく、メシアが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きている命は、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、上帝のみ子に対する信仰によるのです。」

自我の磔殺(たくさつ)

自我の磔殺(たくさつ)という言葉がありますが、これはホーリネス系のきよめ派でよく言われていることです。
自分を捨てること。自我=感情の塊を捨てること。これができるなら、あなたは本当に自由になり、イエス様の命があなたを支配します。ガラテヤ2:19〜20にある通りです。そしてこの体験をしないと、あなたは御霊の実を味わうことはできません。愛、喜び、平安…が自分のものにならなければ、証人にはなれません。
あなたの中から溢れ出たものが、他の人に伝わるのが証だからです。

十字架で死ねる幸い

ガラテヤ5:22、23
22「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、」
23「柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。」

あなたのこれまでの人生をよく見てください。誰かを幸せにできましたか?
おせっかいや、余計なお世話ばかりして、相手に迷惑をかけていただけではないですか?
自分も人も幸せにできなかった人生を、終われるのは十字架だけです。
イエス様に「助けてください!」と叫ぶなら、「弟子になりなさい。自分(自我)を捨てなさい)」と答えてくださいます。
古い自分の人生を十字架で死なせて頂けるのは、本当に幸いなのです。

主が共にいてくださる喜び

あなたは、聖書のきつい(自分にとって嫌な)箇所を、スルーしていませんか。多くの人はそうするのです。
エステルは「死ぬべきなら、死にます。私のために断食して祈ってください」と言いました。こんな女性は珍しいです。やはりユダヤ人の女性です。
彼女は十戒(ものすごく厳しい命令)の中で、イスラエルの選ばれた民として、「主が共にいてくださる」という喜びを知っていたのです。(自分から捨てない限り、主は私を決して捨てられないからです)

見本

自我の磔殺は、エステルが見本です。それは、サラとラケルにはできませんでした。自分に子どもができないと、夫に文句を言って「あなたのせいです。私の女奴隷に入りなさい!」と。(女性は恐いですね…)
エステルは、自分を主のみ手に捧げて、委ねているのです。

エステル2:20
「エステルは、モルデカイが彼女に命じていたように、自分の生まれも自分の民族も明かしていなかった。エステルは、モルデカイに養育されていた時と同じように、彼の命令に従っていた」
4:13「モルデカイはエステルに返事を送って言った。『あなたは、全てのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。」
4:14「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」
4:15「エステルは、モルデカイに返事を送って言った」
4:16「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」

死ぬべきなら死にます

エステルは、「全てがこの時のためだったのかもしれない。この時のために、主が私を用意されたのだ」と、理解したのです。そして、命を捧げました。これがクリスチャンの姿です。
エステルは、たまたま顔かたちが美しく、全てのことをモルデカイの命令に従い、この時のために王妃になりました。すべては主が備えられたことであり、エステルの中に高慢さやプライドは見えません。
彼女は、「主が喜ばれるなら、喜んでこうしよう」と心に決めたのです。
パウロも同じです。彼は主のみ心を知っていました。そして、自分がどのように死ぬか、主に前もって教えられていたのです。(使徒21:10〜13)

使徒21:10「かなりの期間そこに滞在していると、アガボという名の預言者がユダヤから下って来た。」
11「彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って言った。『聖霊がこう言われます。この帯の持ち主を、ユダヤ人たちはエルサレムでこのように縛り、異邦人の手に渡すことになる』」
12「これを聞いて、私たちも土地の人たちもパウロに、エルサレムには上って行かないようにと懇願した。」
13「すると、パウロは答えた。『あなた方は、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。』」

自我の塊(かたまり)

ところで、「自我の塊」という時、この「塊」という漢字が、つちへんに鬼である事が分かります。人間は土(ちり)から造られており、生まれながらに怒りの子だという意味です。やはり、漢字を作ったのはクリスチャンだと思います。聖書を知ってる人でないと、こんなものは作れないからです。

金持ちの差別意識

神学校の教会論に「金持ちには、金持ちしか伝道できない」というものがあります。何という肉的な教会でしょう!金持ちと貧乏人を差別する人が皇民の群れの中に入って来たら終わりです。このようなものは、イエス様が一番嫌っておられることです!
「うちはハイソサエティ(上流階級)しか来ない教会です」と他を排除するのですか。

ルカ7:36〜50
39「イエスを招いたパリサイ人はこれを見て、『この人がもし預言者だったら、自分に触っている女が誰で、どんな女であるか知っているはずだ。この女は罪深いのだから』と心の中で思っていた。
44「それから彼女の方を向き、シモンに言われた。『この人を見ましたか。わたしがあなたの家に入って来た時、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐってくれました。」
50「イエスは彼女に言われた。『あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。』」

主の前では全ての人が同じ

これは、売春婦の女性がイエス様の元に来ていた場面です。パリサイ人は上から目線で「あいつが預言者なら、この女がどのような女か分かるだろう」と冷ややかに見ていたのです。
金持ちは、知らないうちに態度と振る舞いが傲慢になっています。自我と差別意識が強いからです。
イエス様の憐れみがなければ、金持ちやプライドの高い人は、気が付くのが難しいです。
イエス様の目には、全ての人が同じです。愛とはそういうものです。愛には、えこひいきがないからです。

ヤコブ1:9〜11
9「身分の低い兄弟は、自分が高められることを誇りとしなさい。」
10「富んでいる人は、自分が低くされることを誇りとしなさい。富んでいる人は草の花のように過ぎ去って行くのです。」
11「太陽が昇って炎熱をもたらすと、草を枯らします。すると花は落ち、美しい姿は失われます。そのように、富んでいる人も旅路の途中で消えて行くのです。」

ヤコブ2:1〜9
1「私の兄弟たち。あなた方は、私たちの主、栄光のイエス・メシアへの信仰を持っていながら、人をえこひいきする事があってはなりません。」
3「あなた方は、立派な身なりをした人に目を留めて、『あなたはこちらの良い席にお座りください。」と言い、貧しい人には、「あなたは立っていなさい。でなければ、そこに、私の足元に座りなさい」と言うなら、
4「自分たちの間で差別をし、悪い考えでさばく者となったのではありませんか。」
9「しかし、もし人をえこひいきするなら、あなた方は罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。

民族意識

えこひいきや差別、また「民族差別」も主の目には、ものすごく汚らわしい罪です!ユダヤ人は、異邦人を差別していました。悔い改めることをしなかったので、ついに主は民を捨てられました。流浪の民となったのです。
日本人が、彼らと同じことをしたらどうなるしょうか?
同じように裁かれ、捨てられるのではないですか。
日本人、韓国人、中国人、○○人は終わらなければなりません。私たちの国籍は、天にあるからです。
それから、日本という国に遣わされた者として、イエス様に似た者の生き方を(人間としての模範を)、示すのです。これが証です。

自由人

民族的なプライドは、全く役に立ちません。
大切なのは、イエス様が日本をどのように見ておられるかです。私たちは、日本人としての負債を負っているから、今ここにいるのです。
日本の歴史と現状を知り、イエス様の前で執り成さねばなりません。
私たちは、自由人でなければならないのです。自由人とは、自分からの自由を得ている人です。

新しく生まれ変わらねば

どの民族であっても、新しく生まれ変わっていなければ、兄弟姉妹とは呼べません。私の妻は韓国人でしたから、韓国にいた時があります。
韓国の民族意識の強さには、閉口しました。彼らは無意識の反応なのでしょうが、私はまるで犬扱いでした。その扱いのひどさに、さすがに妻も私をかばって怒ってしまうほどでした。
民族意識から解放されていないと、証にはなりません。

簡単ではない

あなたは、日本は他の国とは違って「民度が高い」と言いますか?
民族意識から解放されるのは、簡単なことではありません。
私も、民族的差別意識が出てしまうことがあります。そんな時イエス様のお顔を見て、本当に恥ずかしいと思います。
「ああ、自分はダメだ。何とイエス様の願っておられる基準に達していないのか」と。

自我の取り扱い

聖書をよく読んでください。イエス様には民族差別などありません。私たちは、日常生活の中で、自我が取り扱われているのです。
十字架でイエス様と共に死んで、自分から自由になり、愛、喜び、平安を味わってください。イエス様のくださる命の水を飲むなら、あなたの中から命の泉が溢れてくるのです。そしてそれは、まわりの人を潤します。

真理は自由に

真理(イエス様ご自身)は、あなたを自由にします。
イエス様にあって、韓国、中国、他の国の人々を愛するのです。
また、金持ちのプライドの話をしましたが、貧乏人には貧乏人のプライドと差別があります。「自我」とはそういうものです。
イエス様が与えてくださらなければ、私たちは悔い改めもできません。
「自我の磔殺」ガラテヤ2:19〜20が速やかにあなたのものとなりますように。

(文責:安曇の民)

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