耶蘇上帝會 太秦之宮

京都・太秦を拠点とする日本のキリスト教会です

礼拝message 11月22日(日)

礼拝message 11月22日(日)

(長岡京市・光明寺)

創世記3:20〜4:16

創世記3:14,15
14「上帝である主は、蛇に言われた。『おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる」
15「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」

イエス様の十字架の事柄を、よく覚えておくようにと、四つの福音書は書かれています。
イエス様の十字架から、決して目を離してはなりません。
イエス様の両端に十字架につけられた二人の強盗のうち、一人は滅びを選び、もう一人は恵みを受けて上帝の庭(パラダイス)に入ることを、約束されました。

この世の側についたユダヤ人は、イエス様を売り、十字架につけました。
イザヤ53章、苦難のしもべであるイエス様を、ユダヤ人は理解できずピンと来ていなかったからです。
モーセから長い時を経て、イザヤが預言したのは、人類の罪のために(人間の身代わりとして)罪を背負われる、贖い主イエス様でした。
この贖いは、全被造物が含まれる十字架の預言でした。
しかし、ユダヤ人が待ち望んでいたのは、ダビデのような王が、ローマの属国から解放してくれることだったのです。
あまりにもメシア像が違い過ぎて、ユダヤ人には理解できませんでした。
それは普通のことです。
だから、理解できなかったペテロを責められないのも事実です。

ユダヤ人は旧約聖書を、重要な順に
1・律法(一番大切なもの。主が直接語られたもの)
2・預言書(間接的だが、預言者を通して主が語られたもの)
3・諸書(その他、詩篇、箴言、雅歌など)

の三つに分けています。
パウロは、律法と預言書から語りましたが、イエス様は諸書からも引用されました。
聖書はすべて霊感されたものだからです。

なぜ怒っているのか

創世記4:1〜7
3「しばらく時が過ぎて、カインは大地の実りを主へのささげ物として持って来た」
4「アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。主はアベルとそのささげ物に目を留められた」
5「しかし、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それでカインは激しく怒り、顔を伏せた」
6「主はカインに言われた。『なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか」
7「もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない』」

カインはなぜ怒ったのでしょうか。
「なんで俺のはダメなんだ!?」という妬み、弟に自分の顔を潰されたという怒りです。

Iコリント6:9〜11
9「あなたがたは知らないのですか。正しくない者は上帝の国を相続できません。思い違いをしてはいけません。淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者」
10「盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、上帝の国を相続することができません」
11「あなたがたのうちのある人たちは、以前はそのような者でした。しかし、主イエス・メシアの御名と私たちの上帝の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです」

ガラテヤ5:19〜21
19「肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色」
20「偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派」
21「ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは上帝の国を相続できません」

このように、肉という生まれつきの性格のままでは、天の御国には、決して入れません。
あなたが悔い改めないならば、天国には行けません。
地獄に行きます。
死んだ後、裁きを待つウェイティングルームがあります。
妬み、あら探し、排他主義、このようなことをする者は天国には入れないにもかかわらず、キリスト教は、信じる者がすべて天国に行けると嘘を吹聴しています。
イエス様に聞き従う生活を持続するのか、自分勝手にやるのか、どちらかしかありません。
キリスト教をしている人は、本当に自己評価がゆるいです。
「神は愛」なので、許してもらえると思っているのです。
何の心配もない顔をして聖餐式を受けますが、実際は上帝の怒りがその上にとどまっていることに気付いていません。
だから、死んだ者が多くいると聖書は言っているのです。

創世記4:7にあるように、罪があなたを恋い慕っています。
イエス様の命が、あなたの内にあったとしても、時として失敗はします。
罪があなたを狙っているからです。
そして「自分は妬んでいるな、あら探しをしているな」と生まれつきの性質に気づかされます。
しかし、あなたは罪を治めることができます。

悪霊のうまいやり方は、牧師や教師を使って「あなたは大丈夫」と言わせるところです。
あなたの先生は、イエス様だけです。

罪からの解放

ロマ5:20,21
20「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためでした。しかし、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました」
21「それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・メシアにより永遠のいのちに導くためなのです」

「私たちは罪人だし、しょうがないよね」と罪を軽く扱い、放っておいて良いのですか。
新しい命に歩みなさい。

ロマ6:6,7
6「私たちは知っています。私たちの古い人がメシアとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです」
7「死んだ者は、罪から解放されているのです」

死んだ者は、罪から解放されているのです。
だから、十字架を負いなさい。
弟子は、イエス様に買い取られたのです。
新しい命をもらっていても、生まれつきの肉が、イエス様の命を邪魔します。
そうすると、罪が処理できなくなります。
いかに古い肉を殺すかが、戦いです。

韓国のキリスト教では特に、断食をして幻を見たことにあぐらをかき、悔い改めようとしない人が多くいます。
「お前は悔い改めなくてよいのだよ」と囁く者がいるからです。
あなたが、イエス様に聞き従おうとする生活をしているなら、必ず悪霊は聖書のみことばを使って囁いて来ます。
イエス様の言葉を使うのが、悪霊のやり方です。
だから、イエス様の言葉を噛み砕いて説明している、パウロ書簡を曲解して、悪霊が使うのです。

光の方に来なさい

ヨハネ3:16〜21
19「そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである」
20「悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない」
21「しかし、真理を行う者は、その行いが上帝にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る」

イエス様の弟子は、光の方に来ます。
イエス様に近づくと、真理の光に照らされ、自分の罪がさらけ出されます。
イエス様は、あなたの汚さを全部見せます。
それが嫌だから、闇に逃げるのです。

あなた自身を捧げよ

ロマ6:15〜23
19「あなたがたの肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。以前あなたがたは、自分の手足を汚れと不法の奴隷として献げて、不法に進みました。同じように、今はその手足を義の奴隷として献げて、聖潔に進みなさい」
23「罪の報酬は死です。しかし上帝の賜物は、私たちの主メシア・イエスにある永遠のいのちです」

ロマ12:1,2
1「ですから、兄弟たち、私は上帝のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、上帝に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として、献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です」
2「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、上帝のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、上帝に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります」

あなたの手足を、汚れと不法の奴隷として捧げて、思い通り勝手気ままに生活しているならば、カインと同じ捧げ物をしていることになります。
主はお受け取りになりません。
アベルは、自分自身を捧げました。
本心から喜んで、主に一番良いものを、自分が来て捧げたのです。
あなたがそうしていないなら、カインです。
他のある人が祝福されると妬み、その人が素直に喜んでいると面白くないのです。
これがキリスト教です。
主がカインに言われているのは「教えの規範を自分に当てはめよ」ということです。
何故ですか?
手抜きするなら、あなたには何の報いもないのです。
どんな証も賛美も献金も、あなたが生まれつきのものでするならば、主はお喜びになりません。

永遠のいのち

ヨハネ12:25
「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります」

一粒の麦のたとえと同じです。
自分が大好きな人は、捨てられます。
悔い改めて、罪をぬぎ捨てて行くのは、しんどいし、楽ではありません。
蛇みたいに避けてばかりいると、口先だけの人になります。
しかし、実際に苦しんで悔い改めている人は、沈黙します。
本当に苦しかったら、喋りません。
苦しみの中にある時は、何も言いたくないし、人と交わるのもしんどいからです。

イエス様のみことばは、あなたの闇を光にさらします。
あなたがイエス様に教えられたり、叱られたりしているならば、イエス様は共におられます。
しかし何もない人は、イエス様は一緒におられません。
私たちの歩みは、カインとして出発します。
そして、自分の中のキリスト教の問題が、炙り出されて行きます。
その罪も闇も、イエス様の十字架で処理できるのです。
そうしないなら、イエス様から離れて行きます。
暗い顔になり、それを隠すことはできません。

コロナウィルスの影響もあり、20代から50代の働き盛りの人たちの自殺が、大幅に増えています。
自殺は、イエス様への最大の反逆です。
人間は、死んだ後が永遠です。
みなさん、本当に祈っていますか。
イエス様の証人として、地の塩、世の光となってください。

以下の内容は、交わりの時に話されたものです。

職場も家庭も、その置かれた場所で感謝する。
これが弟子の姿です。

何故なら、イエス様が私のために許されたのだと知っているからです。
イエス様は、あなたの一番ダメなところを対処されようとします。
そこから、決して逃げてはいけません。
キリスト教は、肉の思いのまま職場を変え、感情のまま怒りまくります。
怒るのも、逃げのひとつです。
そこで「私は何が間違っていたのですか?」と聞くのです。
そうするなら、「自分にはできない」と教えられるでしょう。
あなたが死なないなら、実はありません。
悔い改めた結果、命の自由と安息が与えられ、許せるようになるのです。
駄目な、できない自分を見て「なぜ?どうしてできないの?」と言っているなら、それは罪です。
できないことを認め、自分に諦め、十字架のもとに来ていないからです。
キリスト教は、理屈をこね「ああすれば良い。こうすれば上手くいく」と言います。
しかし、あなたが十字架で死ななければ無理です。
「この人を通して、自分が何もできないことを、愛せないことを、教えてくださってありがとうございます。自分にあきらめます」と言うのが、へりくだった、自分を捨てている姿です。

ガラテヤ2:19,29
19「しかし私は、上帝に生きるために、律法によって律法に死にました。私はメシアと共に十字架につけられました」
20「もはや私が生きているのではなく、メシアが私の内に生きておられるのです。今私が肉において生きている命は、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、上帝の御子に対する信仰によるのです」

自分を憎むということは、自分はできないと認めることです。
自分が可愛いと、いつまでも自分を捨てずに「ああすれば良い、こうすれば良い」とぐるぐる回ります。
時間の無駄です。
すべてが主にあって、設定されています。
この嫌な人を、イエス様があなたのために置かれたことを、認めなさい。
それは、あなたの醜さが暴かれるため、「イエス様に頼るしかない。自分は死ぬしかない」と気付くためです。
女同士の戦いは、自分をつかんでいるからです。
信仰は、自分の命を憎むことであり、キリスト教は、自分が可愛いから捨てません。
そうすると、自分を握ったまま何も変わらず、年だけ取ります。
それは悲劇です。

イエス様は、すでに救いを完成されました。
「みことばには、こうありますよね」と実践もなく口先だけで言うのは、ただの可能思考です。
みことばを、実際に自分に当てはめ、「私は、自分を救えない!」と認めるのが信仰です。
イエス様の命が、あなたをコントロールしてくれます。
信仰の土台は、本当にイエス様の命があるかどうかです。
「私が自分でやります」とさも分かっているかのように、理屈ばかりこねていると、何十年経っても同じです。
イエス様を邪魔するだけの者となります。
いつも喜んで、絶えず祈って、すべてのことに感謝しなさい。
このみことばを実行しなさい。
朝、目覚めたその時に、その場で自分をイエス様に捧げてください。
「今日、私をあなたにお捧げします」と祈るのです。

それは、自分を躾けるためです。

今、この時代に生かされていることは、本当に面白いことです。
このような時代に、ここに生かしてくださったことを、あなたが感謝できるようになれば幸いです。

ダニエルは、捕囚を目前にして、70年後にイスラエルの民が帰ってくることを見ていました。
空高く羽ばたく鷲が、遠くまで見渡せるように、あなたも信仰によって大きな広い世界を見ることができることを、願います。

文責 菅原はれみ

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