耶蘇上帝會 太秦之宮

京都・太秦を拠点とする日本のキリスト教会です

交わりtopics 6月28日(日)

交わりtopics 6月28日(日)

こもれび庵での集会の様子

こんな自分を選んでくださった

職場で、人の顔色を伺いそうになる自分との闘いでした。でもこんな自分を選んでくださったことを思う時、感謝が込み上げて来ました。また、水曜日のメッセージで、洗礼は誰からどのように受けたかではなく、ガラテヤ2:20「もはや私が生きているのではなく、メシアが私のうちに生きておられるのです。今、私が肉において生きている命は、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、上帝の御子に対する信仰によるのです。」を聞き、慰めと励ましになりました。理

墓場を住処にしている人を・・・

墓場を住処にしている人(人や自分自身を攻撃、批判するのが好き)をどう救うのか?ということを考えていました。豚の群れは破滅に向かって溺れ死ぬ、そのようなものが人(自分)の内にある。罪とはそういうものなのだと。今日のメッセージの中で、自分が死ぬ道、自分の中の滅びようとするものが滅びる道、それが十字架の道である。それは幸いであると思いました。また、聖書には、「女性は教師になるな」とありますが、女性は指導者になると支配者になりやすいからではないか、と思います。真

昔の日記を読み返してみて

洗礼を受けた前後の自分の日記を読み返してみて、イエス様に従うことに不安や否定的な思いを持っていとことが分かりました。その時の洗礼をもう一度自分の中でイエス様の十字架と結び合わせ、私自身の洗礼とします。また、夫婦で同じ皇民の群れで礼拝できる恵み、イエス様が全てを準備して守っていてくださったことを感謝します。香

6/22(水)の交わりの後、姉妹たちのLINEのやり取りを受けて・・・

最近、群れに共通する問題が顕著に思えるので僭越ながら(堂仙さんのご了承も得て)書かせていただきます。自戒も含めてなんですが…。女性って、簡単に支配者になってしまうものだと思います。最近、主婦をしている時間が長いので、自分がこの家と家族を支配しているような気持ちになっています。また、太秦の助け手的な立場にあるだけで、支配的な態度をとりがちであることも自覚しています。
自分がいなければこの家(群・会社)はダメ→そういう自分は立派
→大切にされるべき、という考えは捨てる、のは当然として。
そもそも夫をはじめとする家族、同僚、仲間が、自分(衣食住も)を支えてくれていることの認識と感謝が足りないと感じます。自分が関わっているのは、家(群れ・会社)のある一部分だけ。他のより重要な部分を、誰かが担っていることに、お互い、もっと目を向けてまいりましょう。時には、感謝を言葉に表すことも大切ですよね。真

じっくりと読ませて頂きました。色々と考えさせられましたのと、交わりで言葉に出来なかった部分もありましたので、重複する部分があるかと思いますが書かせて頂きます。旦那は都合が良い時だけいるという生活はかれこれ15年近くになります。
子供が小さかった頃は不安そうにする度、私が2人分の愛情と包容力で支えてあげなければと強く思い、、そしてこの15年近く旦那には話し合いを拒否られ続けるので、黙るしかない、、とやってきているうちに家庭に関して支配欲が強くなった気がします。生活させてくれている事、頭では分かっていても旦那の身勝手な生活態度に感謝が薄れてしまいつつあるなと感じていました。長女という性質から人に対しての謙遜さを失い易いので、こうしてお話できる機会は私にとってとても有難い機会で、色々と参加できるよう、いつも御手配頂いておりますこと感謝致しております。改めて今の自分を振り返る時間が持てました。有難うございます。爾

送って下さったラインを私もじっくり読ませて頂きました。仰ろうとしておられる事がちゃんと把握できているか分からないのですが・・群れの中で、家族の中で、してもらっている事が、いつの間にか当たり前になって、感謝が足りていない自分・・本当にそうだと思いました。それはつまり、イエス様に対してもそうなのだと思いました。以前にも、やってあげる、と仕える、というのは全く違うと言われましたが、古い肉では仕えるのはできず・・まだまだ死ねていません。群れの中でも家族でも、支えてもらっている事の感謝の思い、言葉をもっと大事にしたいです。私も自分を振り返る事ができて、感謝します。伊

今朝ちょうど、別の事で入院した時の事を思い返していましたが‥
あの時、私がいない方が家の中は平和にうまく回っていて‥兄弟姉妹のとりなしとイエス様の助けがあったのはもちろんですが‥自分がいなければ‥という幻想は、木っ端微塵だったなと、思い出しました。香

感謝を言葉に表すこと、足りないなと思います。
ちょっと違うかもですが‥
家庭で支配するという事で近頃気づかされ、態度を改めなければと自戒し始めた事があります。
いつのまにか、特に食べ物やお金で、自分が主管者のような、采配する権限があるような言動をしていることです。
もともと主人が働いてイエス様から預かったお金、又それを元に購入した物々。
私は、家計を預かり管理させてもらっているだけなのに、主導権があるかのように振舞っていたのです。特に主人には出し惜しむ心があったりして‥まだまだ出てきますが、そんなケチな私は、やめ!と思って過ごしています。香

自分が家庭の支配者になってしまう、というのはその通りだと思います。家族は自分が支えているのだから、私は大切にされるべき・・・という肉の思い。醜いです。この世の価値観と何も変わりません。自分がどれだけ愛され支えられているのか、感謝することからやってみます。晴

以上のやり取りを受けての交わりでの発言

自分は女性ではありませんが、家事をしていると支配者になってしまうというのは同じです。夫婦の間で陣取り合戦のようになり、自分が妻を支配しようとしてしまいます。自分の正しさを主張して批判し、勝ち誇ってしまうのです。これが本当にイエス様の命なのか。古い自分からの解放を求め、もっと妻に感謝していきます。腹

今の環境に夫に感謝してみようと決めて、悔い改めている時は、肉が悶々としていました。でも続けていると、突然感謝が・・。その時は嫌でも、悔い改めは私を自由にするのだと、感謝する事は力なのだと、教えていただきました。晴

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