
マルコ13章
世の終わりに直面した時代
マルコ13:1~37
2「すると、イエスは彼に言われた。『この大きな建物を見ているのですか。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません』」
8「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで地震ががあり、飢饉も起こるからです。これらのことは産みの苦しみの始まりです」
22「偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちを惑わそうと、しるしや不思議を行います」
33「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです」
イエス様が、弟子たちと地上を歩まれた時、それは70年のエルサレム崩壊を控える緊迫した終わりの時でした。
同じように、今現代の私たちも、世の滅びに直面した時を生きています。
イエス様は、二つの時代を二重写しにして、この言葉を語られました。
しかし、私たちが自分勝手な想像で、ひとつひとつの出来事を当てはめてはいけません。
何故なら、偽預言者が多く現れ、不思議を行い、惑わす時代だからです。
ぼけっとしていて、「自分は大丈夫」と思っている人が一番危ないのですよ。
そういう人は、もうすでに騙されているからです。
自惚れてしまい、自分の本当の姿が見えないのです。
それと反対の人は、イエス様のくびきを負っている人です。
イエス様のくびきを負う
マタイ11:28〜30
28「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」
29「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます」
30「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」
イエス様は大工でしたから、牛のために木のくびきを作られました。
イエス様が作られたくびきは、牛にとって本当に痛みが少なかったと言われています。
イエス様は「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」と、今この世に現実に生きているクリスチャンの私たちに、リアリティーを持って言われています。
私が心配しているのは、現代の牧師、宣教師にこのくびきが見えないことです。
くびきを負わなければ、何も学ぶことができません。
あなたがイエス様のくびきを負って、はじめて学びが始まるのです。
みことばを体験しないなら、何も理解することができません。
くびきとは、洗礼の時に「みことばを守ります」という約束を決心することです。(神学校に行ったとか、そんなものは関係ありません)
これは犬の鑑札と同じです。
犬が首に鑑札をつけていたら、誰が所有者か分かるでしょう?
鑑札を見分けるのは、み使いです。
くびきを負っているなら、「イエス様の所有物」と彼らには分かるのです。
生まれつきのままでくびきがない人は、イエス様から学べていない人です。
生まれつきのままか、くびきを負っているかは、後の歩みで分かってしまいます。隠せません。
くびきを負っていない人は、イエス様のお気持ちが分かりません。
人が、人を理解するのと同じです。
イエス様とひとつになっていれば、イエス様の思いが分かります。
イエス様のくびきを負って、日々イエス様に教えられる生活をしているならば、たましいの安息を得ます。
羊飼いが見守ってくださっているという安心感です。
このイエス様が共にいてくださるという実感が、安らぎなのです。
イエス様の荷は軽く、くびきは負いやすいものです。
しかし、最初はその荷も重く感じます。
何故なら、人生の中で重荷もくびきも負ったことがない生活を送って来たからです。
肉は「私は私の自由でいたい」と思っています。
イエス様の命令を守ると約束したならば、苦しい!と悲鳴が上がります。
主はあなたをテストされ、試練をくださいます。
「えっ、クリスチャンになるとこんなにしんどいの?」と最初は思うでしょう。
弟子は窮屈で自由がない、と。
悪霊は「聖霊のバプテスマを受けたのだから、あなたの願う通り好きにやれば良い。これがビジョンだ!」と肉の心地よいままに動けと囁きます。
しかし、あなたがイエス様のくびきを負うことを学び続けるならば、イエス様のくびきは負いやすく、荷は軽いことが分かってきます。
「私は、私自身のものではない」ということを確認してください。
旧約時代は、割礼は男性に限られていました。
しかし新約時代は、心の割礼です。男も女もありません。
主は、心を見ようとなさっています。
(男も女もないという意味を誤解しないでください。太秦の群れは、LGBTは認めません。聖書をよく読むならば、これは病気ではないことが分かります。LGBTは罪の結果です)
心を調べられる主
Iテサロニケ2:4
「むしろ私たちは、上帝に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる上帝に喜んでいただこうとして、語っているのです」
主は、心をお調べびなります。
みことばであなたの心をチェックしてください。
あなたはみことばに従っていますか。
あなたが、みことばに従って生きているかどうかは実を見れば分かります。
あなたの生き方、言葉、態度を見ていればすぐ分かります。
太秦の群れも、十年一緒にいてお互いのことがよく分かってきました。
性格もだいたい分かりますね。
弟子は「互いに愛し合え」と命令されています。
それなのに、人に関心を持たないなどあり得ません。
それは命令違反です。
皇民の群れは、お互いに関心を持ち、自分と違っても兄弟姉妹として、お互いに受け入れていくのです。
夫婦もそうですね。
アダムがエバを知ったと書いてあるように、愛し合うのが前提として、お互いがどのような人か知り、理解して受け入れて行かねばなりません。
エロスではありません。
ですから、福音書をよく読んで、イエス様のみことばから学んでください。
サウル王はどうでしたか。くびきを負わないと、主を悔ませてしまうことになります。
全て聖絶しなさい
Iサムエル15:1〜11
3「今、行ってアマレクを討ち、そのすべてのものを聖絶しなさい。容赦してはならない。男も女も、幼子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺しなさい」
9「サウルとその兵たちは、アガグと、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで、これらを聖絶しようとしなかった。ただ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのである」
10「主のことばがサムエルに臨んだ」
11「『わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ』それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ」
ヒューマニズム的に考えたら、サウル王は特に悪くありません。
サウル王は「素晴らしい良いものは残しました!主にお捧げするつもりです」と言ったのです。
しかし、主の命令は「全て聖絶せよ」でした。
良いものを惜しんで、つまらないものだけを聖絶したのです。
現代風に言えば「もったいない。損だよ。そんなの常識外れ!」でしょうか。
しかし、主の命令は絶対です。
旧約をよく読んで学んでいないと、イエス様が新約で言われていることが正しく理解できません。
感謝も賛美も、すべてが自己中心になってしまいます。
聞き従うことは、生けにえにまさる
Iサムエル15:22,23
22「サムエルは言った。『主は、全焼の捧げ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに 喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」
23「従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」
サウル王は、主から退けられます。
これは、クリスチャンにも同じく起こることです。
今、カルトがたくさん世に出てきています。
主なるお方がどのようなお方か、知らないと惑わされてしまいます。
主に従うということは、あなたが真剣でなければできません。
それを適当にしていると、とんでもない罪になり、主から切り捨てられます。
マタイ7:21
「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです」
「わたしから学びなさい」と言われる内容は、御霊の実のことです。
イエス様の品性です。
天の父は、あなたを聖いものにしようと訓練し、イエス様に似た上帝の子どもとなることを願っておられます。
しかし、あなたの側でみことばの基準、ハードルを下げてしまうなら、それは自殺行為です。
教会に何年通っても、何も変わりません。
悪霊が聖書を読ませないように、聖書を理解できないようにしているのです。
みことばを否定したら、終わりです。
サウル王は退けられ、代わりにダビデが立てられました。
主は、歴史を通して現実を教えておられます。
イスラエルの民の歴史を見てください。クリスチャンが同じ失敗をしないようにと、聖書に書かれているのですから。
あなた自身を主に捧げなさい
Iコリント10:5,6
5「しかし、彼らの大部分は上帝のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました」
6「これらのことは、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです」
新約において、サウル王と同じ失敗をしたのは、アナニヤとサッピラです。
彼らは良いことをしました。
土地を売った代金の一部を残しておき、弟子たちのもとに持ってきました。
しかし、彼らは主を欺いたのです。
お金を全部捧げなかったからではありません。
「全部ではありません」と正直に言えば良かったのです。
彼らは「人にどう思われるか」というプライドを選んだのです。
主は「あなた自身を捧げよ」と言われたのですから、やらねばなりません。
一部を残しておくなどしてはならないことです。
主に聞き従うことが、いかに重要か。
聞き従わない者の上には、主の怒りがとどまります。
イザヤ59:1〜3
1「見よ。主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない」
2「むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの上帝との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」
3「実に、あなたがたの手は血で、指は咎で汚れている。あなたがたの唇は偽りを語り、舌は不正を告げる」
このみことばの通りです。
キリスト教は、立派なお祈りをします。
しかし、イエス様は「嘘つき。真実がない」と言われるでしょう。
この嘘偽りが、仕切りとなって、イエス様の所に行けなくさせるのです。
あなたの罪と咎が、イエス様との壁となるのです。
イエス様が祈りを聞いてくださらないのは、あなた自身の罪のせいです。
人のせいではありません。
自分自身を責めるべきです!
使徒11:18
「人々はこれを聞いて沈黙した。そして『それでは上帝は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ』と言って、上帝をほめたたえた」
命に至る悔い改めとは、何でしょう。
それは、イエス様のところに近づける悔い改めです。
イエス様が、あなたの悔い改めが真実だと認めてくださったなら、聖霊と火のバプテスマを下さいます。
国が裁かれる
マルコ13:14
「『荒らす忌まわしいもの』が、立ってはならない所に立っているのを見たら-読者はよく理解せよ-ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい」
この世の終わりの時に生かされている私たちは、主の帰って来られる時、ご再臨を「絶えず目を覚まして祈っていなさい」と言われています。
今、世界に起こることを心に留めて生きて行く中で、私たちはどのように主の栄光を現すのか。
太秦之宮の群れは、日本に、主のみ心と栄光が現されることを願い求めていくものです。
主が、国という単位で裁きをなさる時、日本の罪と裁きの中に、クリスチャンも巻き込まれて行きます。
立派なクリスチャンも、適当なクリスチャンも、同じように地震や疫病という裁きに巻き込まれるのです。
しかし、裁きは主がひとりひとりに報いてくださる時でもあります。
あなたが、それぞれに与えられた荷物を負い、イエス様ご自身から学んでください。
あなたが日常生活の中で、イエス様に聞き従う覚悟がないのなら、役には立ちません。
IIコリント5:9
「そういうわけで、肉体を住まいとしていても、肉体を離れていても、私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです」
上からの命を与えられ、生まれ変わった人は「イエス様に喜ばれたい!」と願うはずです。
そしてイエス様を愛するようになります。
そうでないのなら、あなたは命に至る悔い改めをしていないのです。
旧約から聖書を読んでいくなら、「自分など、到底救われない」と思って当たり前です。
理屈や理論で、頭の中で真理を知った、と思っても無駄です。
知的なことは、あなたを高ぶらせます。
それが、イエス様とあなたの間の仕切りとなります。
大切なのは、イエス様の命があなたの中にあるかどうかだけです。
イエス様はいのち
Iコリント8:1〜3
1「次に、偶像に捧げた肉についてですが、『私たちはみな知識を持っている』ということは分かっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます」
2「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです」
3「しかし、誰かが上帝を愛するなら、その人は上帝に知られています」
知識、データ、情報、学問は意味がありません。
それらは全て、ただの肥しです。
腐り、形がなくなります。
つまり、読んだことを忘れてよいのです。
それは、聖書を読んでいくうちに、イエス様を知るために役に立てばそれで良いのです。
高ぶる者は退けられます。
イエス様はいのちですから、人間でなければ知ることができません。
AIには不可能です。
イエス様は、歴史、時間を超えた宇宙ですから、パソコンには入りません。
スケールの大きさが全く違います。
もしそんなことをしようとすれば、パソコンが破壊されてしまうでしょう!
私たちは、偉大なるお方イエス様ご自身から学ぶのですよ。
(ネットのデータなどは、大したことはありません。データは検索すればすぐ分かりますが、そこに命はありません。)
「十字架を負って、イエス様の契約を守る」という鑑札が、あなたのお守りです。
これは「イエス様の所有物」というしるしですから、悪霊は簡単には手を出せません。
内側のイエス様の命が、あなたを守るのです。
目に見えない悪霊は、目に見えないものを見ているのです。
あなたの内側に、くびきがあるかどうかを。
みなさん一人一人が「メシアの香り」を放つ者となってください。
IIコリント2:14〜16
14「しかし、上帝に感謝します。上帝はいつでも、私たちをメシアによる凱旋の行列に加え、私たちを通してメシアを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます」
IIコリント10:4〜6
4「私たちの戦いの武器は肉のものではなく、上帝のために要塞を打ち倒す力があるものです」
5「私たちは様々な議論と、上帝の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、全てのはかりごとを取り押さえて、メシアに服従させます」
凱旋行列に加わるのは、戦いに勝利した兵士たちです。
兵士は同じ制服を着ています。
敵と区別するためです。
みなさんは兵士なのですよ。
イエス様に従順な道を歩むならば、敵はあなたに勝つことはできません。
しかし、不従順であるならば敵には勝てません。
メシアの香りは、救いにあずかる人びとには良い香りです。
この人はどのような人なのだろう!?と興味を持たせます。
しかし、滅びる人々にとっては、ものすごく嫌な香りとなります。
そのような人々は、あなたを嘲笑い冷笑を浴びせるでしょう。
そのようになったら、ようやく主のしもべと認められますね。
早くそうなることを願います。
それは感謝なことです。
以下の内容は、交わりの時に話されたものです。
性的な罪、情欲は、未信者の特徴です。
それは、イエス様の弟子になった後、変えられて行くのです。
子どもにとっては、父と母が愛し合った結果、自分が生まれて家族になったのです。
両親を見て、子どもが「結婚って良いな。こんな夫婦になりたいな」と思えるサンプルになれるかどうかです。
この世はサタンの支配下にあるので、イエス様を知らないなら、狂った状態です。
主はあなたに何を願っておられるのですか。
この世の人がクリスチャンを見て、「あの人のようになりたい」と思えるような、模範になって欲しいと願っておられます。
(LGBTを批判するのではなく、模範を示すのです)
同じように上帝の家族は、天の父を中心とした家族です。
この家族がお互いに愛し合っているのを、天の父は見たいと願っておられます。このひな形が失敗しているなら、この世に対して何も証できません。
この世はこれから、どんどん汚く暗くなって行きます。
イエス様しか、あなたを守ることはできません。
わたしは、イエス様の前で駄々をこねる子どものようになる時があります。
「今の私は、このように肉でしかできないのです!」と。
もちろん、肉でやるには、ペナルティーもダメージもあります。
しかし「これ以上はやってはならない」という限度をわきまえ、イエス様のところに帰ってくれば良いのです。
(みことばが心に記されているならば、それがストッパーとなります)
そして失敗したら、正直に認めて悔い改めるのです。
この世が暗くなればなるほど、クリスチャンの光は(それが弱くとも)ボーっと浮き上がってきます。
今回の大阪都構想の選挙はどうでしたか。
何が闇なのかが、見えてきたでしょう?
あなたは、ここから何を学び取りましたか。
闇が、問題が何なのかが見えたら、どのように祈って行くのか。
ここからがスタートです。
信仰の土台がしっかりしていないと、倒れてしまいますよ。生活、お金の心配、プライドなど、さっさと捨ててください。
私たちは生まれつきの虚しい生き方、先祖から受け継いだ古いものとは、全て切れているのです!
肉の全てが十字架につけられ、あなたは日本に遣わされた者なのですよ。
今ある家族に対してもです。あなたは「イエス様のもの」ですから。
家族の中で「私が主人で仕切っている」のではありません。
遣わされたのだから、家族に対しても客観的に見ることができるはずです。
客観的というのは、感情では切れています。
あなたが感情的になるなら、イエス様のくびきは締まります。
自分の思いや感情で生きるなら、とても苦しいでしょう。
しかし、イエス様に従うならリラックスできます。
せめてそれくらいは、分かって欲しいのです。
私たちの戦いの武器は肉のものではなく「上帝のために要塞をも打ち倒す」ものです。(IIコリント10:4)
祈りの中で先を見せられ、祈って行くうちに、そのことが現実に現れてきます。
イエス様は祈りの中で、先のことを見せてくださいます。
みなさん、早くそうなってください。
私は、全てをイエス様に相談します。
どんな小さいことも「どうしたら良いですか」と聞きます。
しかし、それでも失敗することはあります。
みなさんが、感情や感覚で何かをするなら、くびきが締ることを実感できますように。
それを、十字架で殺すことを学んでください。
文責 菅原はれみ
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