耶蘇上帝會 太秦之宮

京都・太秦を拠点とする日本のキリスト教会です

礼拝message 10月14日(水)

礼拝message 10月14日(水)

長岡京市・光明寺

黙示録21:1〜 11, 21:22〜22:7,
Iテサロニケ5章

Iテサロニケ5章
3「人々が『平和だ、安全だ』と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません」
4「しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません」
9「上帝は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・メシアによる救いを得るように定めてくださったからです」
16「いつも喜んでいなさい」
17「絶えず祈りなさい」
18「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、メシア・イエスにあって上帝があなたがたに望んでおられることです」
23「平和の上帝ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・メシアの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように」

最後の時

今、この時どのような時代であるのか。
まさに、最後の時が火蓋を切って落とされたような時代です。
今のこの時点で弟子である者は、この世と違う生き方をしていなければなりません。
聖書は急に全てが終わるとは言っていません。
主はひとつひとつ御心を為しておられるのです。
全てのことにおいて主の御名が褒め称えられ、全ての人が主を畏れ敬うようにと、持ち運んでおられるのです。
最後の時は、未信者にとっては恐るべきお方が全世界を支配しておられるのを知る時であり、信仰者にとっては報いを受ける時です。
パウロのように、命の冠が私を待っている、と言えたら、幸いです。
しかし、多くのクリスチャンがそのようではありません。
「来ていただきたいけど、今来てもらったら困ります。
まだ準備できていません」という風に不安の方が大きい顔をしています。
現代クリスチャンは、まるで「良い報いよりも厳しい言葉が待っているのでは」と悲鳴をあげているようです。
あなたは、どちらですか。
ご再臨を期待してウキウキして待っている顔ですか、それとも不安でいっぱいの顔ですか。
あなたが、みことばを本当に信じているのなら、「主よ。来たりませ!」と言えるはずです。

イエス様に従おうとしているなら、いつも喜んで、絶えず祈って、感謝するのが、自然な生活となっているはずです。
年数からすれば当然です。
それが上帝の子どもたちの姿だからです。

何があっても動じない、地に足をつけてしっかり生きている。
そして人を助けることができる、これが弟子です。
しかし、多くのクリスチャンの言葉はアドバイスにもなっていません。
その人を助けて引き上げる言葉になっていないと駄目なのですよ。
「こうあるべきだ!」と押し付けて、さらにその人を苦しめるのです。
誰が、このような人の生き方に倣いたいと思いますか?

コリントの教会では「私はパウロにつく、アポロにつく」などと言って基準がめちゃくちゃになっていました。(Iコリント1章)
携挙に対する混乱があったのです。
ある教会では、今すぐに再臨があると、極端に走り、信徒を混乱させています。
携挙を待ち望んでいるなら、落ち着いた生活をすべきです!

上帝の事柄は前進している

イエス様のみもとに行くことがあなたの喜びなら、意味のないことは起こらないと分かります。
全てが主のご計画の中で動かされています。
自分が「順番通り行っていないじゃないか」と思っても、上帝の事柄は後退しているのではなく、前進しているのです。

さて、これから奇跡を行う人々がたくさん出てくるでしょう。
自称預言者が来るのです。
本物か偽物か、どうやって確かめるのでしょうか。
聖書には、人として来られたイエスを告白しない霊は信じるな、とあります。(Iヨハネ 4:2)
これは、どういうことでしょうか。
イエス様は、人としての模範を現されました。
弟子たちの足を洗われたのです。
しもべとして来られたことを、自ら示されたのです。
聖書が書かれた当時も、偽預言者がどんどん出てきました。
「俺について来い!」という人は、偽物です。
謙遜さをもってみことばを伝えようとしている人が、主に遣わされた人です。
男性たちは権力に弱く、すぐに偉くなりたがります。
しかし、人々に仕えることができなければ無理です。

誰に仕えているのか

私は、お金のことを言うのが一番嫌いです。
人生において、イエス様と儲け、どちらに仕えているのか、ものすごく葛藤した時がありました。
結婚して子どもたちが生まれ、私は家族を食べさせるために働きました。
私の中では、イエス様が全責任を取ってくださる!という信仰がありました。
しかし、妻はそうではありませんでした。
貧しさを感謝して受け取れませんでした。
イエス様がくださった韓国人の妻は、自分より信仰的だと、私は期待していました。
しかし、現実はそうではありませんでした。
私の中では、「主のしもべとしてやるべきことがある」というプレッシャーが日々大きくなって行くのに、現実の生活は、妻と子どもを食べさせるために貧しい中で働いたのです。
妻は、材料を買えないのでキムチも食べることができず、毎日すいとんを食べていました。
人間的にはかわいそうでしたが、「イエス様に懸けていたら大丈夫だよ!」と私は叫びたかったのです。
私はこの時、間違ったのだと思います。
しかし、イエス様のお許しの中での訓練でした。
この現場にいる時は、全てが暗中模索でした。
信仰と現実の間で、自分の中でつじつまが合いませんでした。
しかし今は、感謝しかありません。
イエス様に召された者は、イエス様が責任を取ってくださるのです。
イエス様に懸けているなら、食べ物がなければ死んでいけば良い、と私は思っています。
私は、自分の報いは期待していません。
ただ、主のミッションを地上で果たせたらそれで良いのです。
「この偉大なお方を、イエス様を知ることができた!」という喜びだけで私は十分なのです。
この屑のような私が、イエス様を知ることができたのです。
そして、主が使命まで委ねてくださったのです。
それだけで十分なのです。
本当にイエス様を知れば、それだけで良い、と思うのです。

天の御国がはっきりしているのか

私たちは、新しい天と新しい地に住むのです。
これが天国です。
イエス様と天の父にお会いできる!という喜びがあなたの中にありますか。
このために私たちは生きているのです。
神話ではないのですよ。
現実に、そこを目指して私たちは旅をしているのです。
日本のキリスト教は、そんなものは、はっきりしていません。
仏教徒と同じです。
ぼや〜っとしていて夢のようです。
帰る場所が、どんな所かはっきり分かっていなければ、喜べません。
あなたの中で、天の御国が映像のように広がっていなければ、いったいどこに行くのですか?
だからそんな喜びのない辛気臭い顔をしているのです。
全ては延々と繰り返し、その中で悟りを得る・・・それなら仏教です。
この世のものは空蝉です。
しかしクリスチャンなら、違うはずですよね!?

私は、イエス様を通して、新しい天と地を垣間見れたらそれで良い、天国の門番のお手伝いでもできれば良い、と思っています。

主が全世界をご支配されている

ヨーロッパ諸国が、神をも畏れない所業の中国共産党に、ひとこと言って欲しいと求めました。
しかし、ローマ教皇は拒み、中国共産党が司教を選ぶことを許しました。
もう終わりです。
日本では、プロテスタントよりカトリックの方がマシだと思われていますが、どうでしょうか。
共産主義の毛沢東は、いったい何億人を殺しましたか。
グローバルな国、ディープステイトとアメリカのトランプ政権は戦っています。
悪魔は、一人でも多くの人間を殺すことが目的です。
まるで、悪魔の国の力が、公の力として世界を席巻しているようです。
上帝の国と力が、隠されているように見えます。
しかし、この二つは、共存しています。
闇の力が大きければ大きいほど、目には見えなくても、実際はイエス様の力が全世界をご支配されているのです。

緊張関係の中の祈り

この世に馴染んでくると、クリスチャンは緊張を嫌うようになります。
だから、絶えず祈れ!と言われているのです。
絶えず緊張して、イエス様の声を聞いているのです。
十字架の前、イエス様が血を流して祈っておられる時、弟子たちは一時間も起きて祈れませんでした。
イエス様は、最後の祈りの戦いを、弟子たちに見せようとされたのです。
しかし、弟子たちは寝ました。

みなさんは、本当にお祈りをしていません。
祈りは、緊張感の厳しい中に入っていくという事です。
寝ようと思っても、その緊張感は夢の中でも続きます。
イエス様の弟子として、ここまで熟達してください。
祈りは、糸電話と同じです。
糸がピンと張っていないと、相手の声が聞こえません。
同じように、イエス様との緊張関係の中で祈らないと、御声は聞こえません。
絶えずイエス様を呼ぶ者が、救われるのです。

Iヨハネ5:4
「上帝から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」

この信仰とは何ですか。
イエス様と繋がっている事です。
あなたは、イエス様の御声が聞こえる状態ですか?
糸がたるんでいるなら、聞こえるはずがありません。
そんな信仰では、世には絶対勝てません。

中国共産党の、千人計画、孔子学院などで、日本は骨抜きにされています。
経団連もそうです。
「剥ぎ取られるのは分かっているけど、離れられない」というのが、日本の現状でしょう。

なぜ日本は、こんな事になっているのでしょうか。
日本は全世界の中で、特別な立場に置かれているのだと、私は思っています。
地理学的にも、特別な国です。
ユダヤ人の埴輪が出土し、群馬県には騎馬民族が移住して来ています。
歴史的な事を言えば、神輿や祇園祭など、契約の箱も隠されているのかもしれません。
明治天皇が、神道はユダヤ教だと発言されましたが、その事実も隠蔽されています。
世界で、悪魔が一番潰したい国は、日本です。

天国は現実にある

クリスチャンの基準は、仏教的な天国を求めているのではない、という事です。
自分が帰るべき天国がどのような所か説明できないなら、あなたは国籍がないのと同じです。
私たちは、アブラハムの子孫として、天の御国を目指しているのです。
アブラハムは、いかに財産が増えようとも、天幕生活を変えませんでした。
地上の人生は束の間であり、彼は生き方でそれを証したのです。
天の父はそれを喜ばれました。
彼は、天国に帰るのを楽しみにしていたのです。
それは、エデンの園以上の素晴らしいものだったのです。

もし、地上でぼや〜としていたら、死んだらあなたはどこに行くのですか?
天に帰るからこそ、「地上でイエス様に喜ばれることをしたい」と願うのです。人に褒められたら終わりですよ。
あなたの実際の生活において、天国が現実になれば、旅人になれます。
この世は過ぎ去って行くのです。
あなたは、本当に全知全能の偉大なお方を、信じているのですか。
そうなら、お金のことなど言いたくないはずです。
お金のことを心配するなら、あなたは不信仰です。

Iコリント14:20〜25
24「しかし、皆が預言をするなら、信じていない人や初心の人が入って来たとき、その人は皆に誤りを指摘され、皆に問いただされ」
25「心の秘密があらわにされます。こうして、『上帝が確かにあなたがたの中におられる』といい、ひれ伏して上帝を拝むでしょう」

イエス様が喜ばれる交わりがそこにあるなら(嘘のない、真実な、アガペーの愛が存在する交わりなら)、未信者や中途半端なクリスチャンが入って来たら、どうなりますか。
正直な言葉が、その人の心に刺さります。
イエス様の御臨在が、その人の嘘を暴くからです。
そしてその場に居づらくなります。
その一方でイエス様にある真実の交わりを見て、「厳しいな。でも良いなあ。うらやましい」と思うでしょう。
そして、「ここにイエス様がおられる!」とひれ伏して主を拝むでしょう。

目標

あなたは、いったい人に何を伝えると言うのですか?
あなたが確信を持ち、「永遠の命をいただいて、一緒に天国に帰ろう!」と言えないなら、人に伝わる訳がないでしょう。
伝道なんて無理です。
この世の現実は、悪魔の支配の中にあるので、平安、平和、希望などありません。
天の御国に、故郷に、帰ることが上帝の子どもたちの目標です。
それなのに、天の御国がはっきり見えてないのです。
「この世の幸せ」があなたの目標なら、太秦之宮には要りません。
この世を友とするのか、イエス様を主とするのか、選ばねばなりません。

以下の内容は、交わりの時に話されたものです。

あなたがイエス様の弟子として行動したいなら、衝動的に動くべきではありません。
良かれと思って衝動的に行動してしまうと、「私がうまくやった」と自信になり、この世の霊があなたをコントロールするからです。
イエス様の導きは、そうではありません。その場でイエス様に従うのです。
「結果はこうなる」と自分の思いで期待すべきではありません。
あなたは、待たなければなりません。
自分が、良いと思うことについては、待つことを学ぶべきです。
この肉の衝動を殺すのが、とても難しいのです。
キリスト教は、「自分勝手な衝動」を「導き」と言います。
これは最悪です。
そして「やりたくない」と思う時こそ、従うのです。
つまり、自分が良いと思うことは勝手にやってはならず、やりたくないと思う時は、嫌でもやるのです。
これが自分を殺すという事です。

文責 菅原はれみ

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