
マタイ12:22〜37
聖くなることを求めなさい
マタイ12:28
「しかし、わたしが上帝の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう上帝の国はあなたがたのところに来ているのです」
聖性-ホーリネスは、イエス・メシアと似た者になることであり、聖人となることです。
これがクリスチャンの最終目標です。
主は、私たちが聖くなることを求めておられます。
イエス様が聖いお方だからです。
イエス様の十字架の復活の後、福音が宣べ伝えられていても、悪魔は偽教師を皇民の群れに送り込みます。
この偽教師は、信仰のウィークポイントを突いてきます。
悪霊は、あなたをよ〜く観察して(いつもずっと見ていて)データを収集しています。
あなたのどこが一番弱いか、悪霊はよく知っています。
一週間経って、みなさんを見ると傷だらけになっています。
イエス様に守られて来て感謝です。
しかし、その傷をどのように癒すのか?
イエス様の十字架のあがないと血の力で聖められ、許されるのです。
日本の神観
新改訳2017年度版聖書と、その前の古い新改訳を読み比べてください。
「和解の生贄」が「交わりの生贄」に変えられていることが分かります。
「和解の生贄」と言うと、そこには敵意が含まれます。
和解したいと言う意思と行為があって、和解し、その後交わりが成立します。
しかし「交わりの生贄」と言われると、どうでしょう。
まるで生贄が、何かのお土産のようです。
そこには敵意も罪意識もありません。
このように、翻訳者の好みの神学によって事実が変えられてしまいます。
旧約では、律法が与えられたことにより「自分の中に罪が住んでいる。人間の罪がいかにひどいものか!」という事実が明らかになりました。
このことを教えてくれるのが、旧約聖書です。
この翻訳のやり方は、うまいですね。
(馬淵睦夫氏が、その著書の中でも日本の神観について語っていますが)
こうやってみことばが薄められ、だんだん日本の神観に近づいて来るのです。
キリスト教では、「天の父は優しいお方だから、お交わりをしましょう。そんなに怒っておられませんよ」とごまかしていくのです。
私は、なにも日本がキリスト教国になれば良いとは思っていません。
キリスト教国はいらないのです。
今のキリスト教国の有様を見れば分かるでしょう。
願うのは、天皇陛下、総理大臣が主の前にひれ伏して感謝を捧げることです。
命令に従うことが愛
申命記29:29
「隠されていることは、私たちの上帝、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである」
みことばを行うことは、イエス様の命令を守ることです。
イエス様の命令に従って歩むこと、それが愛です。
IIヨハネ:6
「私たちが御父の命令にしたがって歩むこと、それが愛です。あなたがたが初めから聞いているように、愛のうちを歩むこと、それが命令です」
命令は、常にあなたに示されています。
キリスト教信者はパートタイマーです。
「自分で決めて、ある時間だけは信仰者のように過ごします」という感じです。他の時間は自分の勝手に過ごすのです。
そうであってはいけません。
クリスチャンは24時間、主のしもべです。
私たちは寝ている時も、主に守っていただかねばならないほどに弱いのですよ。
自分が勝手にできないほど、いかに限界がある者なのか知らねばなりません。
そのような者だからこそ、みことばに従って生きるしかないのです。
主がいつもどのように守り、養い、導いて下さっているのか、私たちはほとんど知らないのです。
何かの試練で、「もう我慢できない!」と思っている時、悪霊が囁きます。
「こっちの水は甘いよ。こうした方がお金が儲かるよ」また「そんな嫌な人がいる職場、変わった方が良いよ」と。
イエス様への冒涜は赦されない
マタイ12:31
「ですから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけますが、御霊に対する冒涜は赦されません」
ルカ12:10
「人の子を悪く言う者はだれでも赦されます。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されません」
イエス様が人間として地上におられる時には、「人の子に対するどんな罪も冒涜も赦す」と言われました。
しかし、今は違います。
イエス様は十字架の死から蘇り、天に昇られ、栄光の御座から御霊を送ってくださったからです。
イエス様はどのようにして地上にお生まれになりましたか?
聖霊によって、人間としてお生まれになりました。
これが三位一体の奥義です。
つまりイエス様への態度が、そのままご聖霊への態度です。
ご聖霊に対する態度が、そのままイエス様に対する態度です。
イエス様が天に帰られた今、イエス様への冒涜は赦されません。
イエス様への暴言は残ります。
あなたが地上に生きているうちに、悔い改めが必要です!
「御霊(イエス様)に対する冒涜は赦されない」と言われているからです。
あなたが地上に生きている時にイエス様にどのような態度を取ったのかが、最後の裁きの時の基準になります。
イエス様が復活された後、「異邦人に割礼を!」と言っていたユダヤ人で救われた人はほとんどいません。
マタイ12:34〜37
36「わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません」
37「あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです」
神様とは?
ルカ12:8,9
8「あなたがたに言います。だれでも人々の前でわたしを認めるなら、人の子もまた、上帝の御使いたちの前でその人を認めます」
9「しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、上帝の御使いたちの前で知らないと言われます」
主イエス様のことを口に出さず「神様!」と言っている、自称クリスチャンの方々に言います。
御使いたちの前で、あなた方は「知らない」と言われますよ。
人前で、弟子であることを言い表していないと認めてもらえません。
「私の人生は私のものではない」と告白する者が弟子です。
イエス様を「主」と告白するなら、救われます。
「主」と言うなら、イエス様の命令を守る立場をとるはずです。
主に属する者がクリスチャンです。
祝福を願われている
マラキ3:6〜12
12「すべての国々は、あなたがたを幸せ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ」
旧約時代でも、主は民を豊かに祝福されました。
まして、イエス様がその血によってあがなわれた新約時代の上帝の子どもたちに対して、天の父がどれほど祝福したいと願っておられるか!
では、何故祝福がないのですか?
あなたが態度の悪い子どもだからです。
蛭は「くれろ、くれろ」と言います。
それと同じです。
イエス様に対して「助けて、あれして、これして」と、感謝もしません。
いつも感謝している正直で素直な子なら、親は可愛いでしょう?
もっともっとしてやりたいと思いますよね。同じです。
感謝して、主を褒め称えてください!
クリスチャンは本当に感謝しません。
天の父は、どれほど子どもたちを祝福したいと思っておられることか!
あなたを見て、周りの人たちが羨むようになるためです。
イエス様は王となるために来られました。
自分を喜んでイエス様の支配下に置く者が、クリスチャンです。
家庭や職場の細々したことはイエス様には分からない、と思っているからつぶやくのです。
あなたのお祈りが、つぶやきになっているでしょう!?
ちゃんと聖書を読んでください!
聖書を信じているなら、主のなさることに不可能はありません!
想像を絶することをなさいます。
あなたはいったい、何をしているのですか。
ちまちまと考えているのは、日常生活と自分のことだけですか。
あなたを見て「あの人は幸せだね。いいね!」と誰が言うのですか。
Iペテロ2:13〜25
17「すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、上帝を恐れ、王を敬いなさい」
18「しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい」
19「もしだれかが不当な苦しみを受けながら、上帝の御前における良心の故に(別訳:上帝のみこころを意識して)悲しみに耐えるなら、それは上帝に喜ばれることです(直訳:恵みなのです)
20「罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは上帝の御前に喜ばれることです」
当時は奴隷が多かったのです。
実際の生活で聖書の命令を守るため、いつも上帝のみこころを意識して生きるために、私たちは召されたのです。
言い訳は通用しません!
聖書を与えられているからです。
羊飼いの声を無視する
Iペテロ2:21〜25
21「このためにこそ、あなたがたは召されました。
メシアも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された」
22「メシアは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった」
23「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった」
24「メシアは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪に死んで(別訳)、義に生きる(別訳)ため。
その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された」
25「あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った」
あなたの生き方がどれほど聖書からずれているのか!
だらしないし尊敬もされないし、今まで何をやって来たのですか。
自分に向かって「私は死んでいる」と言っている者が、自分を捨てている者です。
イエス様は魂の牧者であり監督者です。この羊飼いなるお方の声を無視して、自分勝手にやっているのです。
野球だって、監督の許可なしにはプレーできないでしょう?
普段の生活の中で、イエス様に似た者となるように配慮されているのに、あな
たが生まれつきの自分をお任せしていないのです。
イエス様の声に耳を傾けずに、自分ばかり喋っているのです!
「どうしたら良いのですか、何と言ったら良いのですか。お任せします」と言わないのです。
勝手なことをして痛い目に遭い、それをイエス様のせいにする。
そのような自称クリスチャンは、本当に性根が悪いです!
あなたが自分で選んで決めて、やったことでしょう?
悪い種を撒いたのは自分なのに、勝手に「主のお導き」にする。
その前にイエス様にどうすればよいのか、聞きなさい!
イエス様は、模範を残されました。
意地悪な主人にも喜んで従うのです。
このような者になっていないと弟子ではありません。
生まれつきの自分にはできないことが、イエス様にはできます。
イエス様を無視して来た結果が、今です!
イエス様にあるなら、今と結果が違ったはずでしょう!?
周りの人から「あの家族は違うよね」と言われなければ、証にもならないし、イエス様の栄光にもなりません。
周りのみんなが認めることが、この太秦の群れから始まらないなら、いったい何の証ができるのですか!?
祈りの中で力ある者
義人の祈りには力があります。
何故あなたの祈りには力がないのか。
義人ではないからです。
ヤコブ書にある通りです。
「実際にやってみなさい。祈りとはこのようなものだ、と実証しろ」と言われているのです。
祈りの中で力ある者にならなければ、役には立ちません。
聖書を読んで、力ある者となってください。
ちまちまとしたせこい者は期待されていません。
みなさんは、金魚鉢の中のメダカのようです!
イエス様が願っておられることと、あなたが思っていることは、離れすぎています。
聖書の考え方に自分を合わせなければなりません。
そのためにご聖霊が来て、アドバイスを与えてくださるのです。
みなさんは世界観が小さすぎて、頭がコチンコチンに固いのです。
聖書の世界観、その大海原へ漕ぎ出してください。
聖書は実践せよ、と言われています。
みことばが事実とならなければ、あなたは何を期待して生きているのですか。
歴史の中で、イエス様が何をしようとされているのか。
「上帝の国はこのようなものだ」と証しようとされているのです。
私たちはそのツールです。
そのツールになれないなら、イエス様に使ってもらえないなら、クリスチャンとは言えません。
文責 菅原はれみ
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