Iテモテ1:18〜2:15
みなさんに質問です。
旧約時代と新約時代で、最大の違いは何ですか?
時間を取ります。自分で考えてみてください。
本当の敵は誰か
イエス様が来てくださったその時から、本当の敵は誰なのか、はっきりと現されたのです。
イエス様がご生涯を始めようとされる時、「メシアとして罪を犯すように」誘惑したのがサタンです。
旧約時代には、サタンはおぼろげに登場します。
ヨブ記で主の会議に連なったり、ルシファー、明けの明星としてだったり、まるで影が通り過ぎるように登場します。
また創世記では、サタンは蛇の中に入って、蛇を使ってエバを誘惑しました。
イエス様がまことの王としてお生まれになり、メシアとして十字架に向かって歩み始めようとされた最初の時、サタンは荒野でイエス様を誘惑し、立ち塞がったのです!
ここで、戦うべき敵は誰なのか、はっきりしたのです。
罪ゆえのもろさ
旧約時代は、イスラエルの民と異邦人との戦いでした。
イスラエルの民は、主の律法を与えられ、聖別された宝の民でした。
しかしイスラエルは、生まれつきの人間は主の律法を守れないという弱さをあらわにしたのでした。
人間とはどのような者か、自ら律法を破って行くというはかなさ、罪ゆえのもろさを現したのです。
だから、イエス様が来てくださらなければ未来も希望も何もないのです。
人間は罪の呪いのゆえに、悪魔と一緒に滅んで行く運命でした。
しかしイエス様はアダムとエバの罪の呪いを十字架で引き受けてくださいました。
イエス様のきよい贖いの血によって、私たちは罪と死から救い出されるのです。
イエス様が死から復活してくださったことによって、蘇りは現実なのだ!と証してくださったのです。
死と復活によって、永遠の希望は現実であり、天国は実在し、そこで新しい体をもって永遠に生きるという現実を明らかにしてくださったのです。
地上では旅人
アブラハムは大金持ちでした。
彼なら、宮殿のような立派な家を建てて住むことができたでしょう。
しかし、そうはしませんでした。
彼は生涯天幕生活を続け、地上では旅人であることを証したのです。
私たちは、アブラハムの信仰に倣えと言われています。
地上では旅をしているに過ぎず、本当の喜びは天に帰った時に味わえるのです。
パウロの時代にも、復活を信じないクリスチャンがいました。
現代のクリスチャンはどうですか?
唯物主義になり「地上の楽しみが全てだ」となっていませんか。
彼らの神は、自分の腹です。
願望が地上で実現することだけを願っているのです。
そうなると地上のことで頭がいっぱいになり、人からどう評価されるかばかりが気になります。
金持ちは、いくら稼いでもお金が足りない、足りない、と言うのです。
クリスチャンは、天のふるさとを目指していることを普段の生活の中で現すのです。
礼拝の時だけそれらしい顔をして、普段の生活は自分勝手にしているなら、主のみこころにはかないません。
不合格です。そのような人は地上のことだけで終わります。
貧しい者は幸いです
ルカ6:20〜21
20「イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。
『貧しい人は幸いです。上帝の国はあなたがたのものだからです」
21「今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。
今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです』」
ルカの福音書は、異邦人のために書かれました。
異邦人には、この世のことしか分からないからです。
ここで「貧しい者=乞食」は幸いだと言われています。
乞食は貧しさを知っている人です。
「飢えている人、泣いている人は幸いだ」と聖書は言っています。
今、中国の洪水の中で苦しんでいる人たちにこう言えないなら、あなたはクリスチャンではありません。
「今飢えている人は幸いです」と証して、物資を持って行ける人が必要なのです。
「今この苦しんでいる時にこそ、本物の幸いを知るチャンスなのですよ」と。
苦しんでいる時、泣いている時、飢えている時が、本当の幸いを知る魂の準備ができている時です。
苦しみ、悩みを通して、イエス様のところに引き寄せておられるのです。
人間にとって、何が幸いなのか・・・と。
悪魔は、人間が帰るべき天のふるさとに帰れないように邪魔をします。
人間を地上に縛りつけるように仕向けるのです。
地上に財産を多く持つ金持ちが、天の御国にはいるのが難しいのはそのためです。
健康でお金持ちで地上で大満足している人は、永遠の命を手に入れるのは無理です。
だから金持ちの青年にイエス様は言われたのです。
「財産を全て売り払ってついてきなさい」と。
霊的な権威
エペソ1:15〜23
20「この大能の力を上帝はメシアのうちに働かせて、メシアを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて」
21「全ての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられる全ての名の上に置かれました」
22「また、上帝はすべてのものをメシアの足の下に従わせ、メシアを、全てのものの上に立つかしらとして皇民の群れに与えられました」
霊的な世界は、権威、権力、権勢で成り立っています。
悪霊の世界にもヒエラルキーがあります。
そして、全てのものがイエス様の足の下に従わせられたのです。
ルカとマタイの福音書の、平地の垂訓と山上の垂訓が信仰の土台です。
あなたの生活が、みことばの土台の上に成り立っていないなら、もう戦いには敗れています。
コロナウィルスが全地を覆う今、世界はもう後戻りはできません。
濁流に飲み込まれるように、この世界は流されて行きます。
この世のことで、わあわあ騒いでいたら、クリスチャンとは言えません。
自分のことでキョロキョロよそ見をしていたら、どうやって敵と戦えるのですか。
今世界で起きている事は、全て起きるべくして起こっているのです。
悪魔の申し子のような中国共産党が、主に鉄槌を下されています。
主は、本物の弟子が誰であるか知っておられます。
この世と調子を合わせているクリスチャンは、このまま濁流に飲み込まれていきます。
狭い門から入りなさい
イエス様の命令があなたの生活の中で実践されていないのなら、敵は笑っています。
私たちは努力して狭い門から入るように、と言われているからです。
現代のクリスチャンは、ほとんどそんなことをしていないでしょう!?
生ぬるいのです。
そして入ろうとしても、入れなくなる人々が大勢いるのです。
イエス様は、聖書のみことばを通して主と交われるようにしてくださいました。
パウロはある人々に対して「主を冒涜してはならないことを教えるために、サタンに引き渡した」と言っています。
これは本当に恐ろしいことです。
戦いは命のやり取りです。
遊びではありません。
はっきり言って人が死にます。
主が、国々を裁かれ、打たれる時、弱い者から打たれて行きます。
主が国を打たれる時、その裁きは正しいのです。
私たちの側で、その裁きをやめてください、と言う事はできません。
しかし、死んではならない弱い者たちのために、祭司の役割をして祈らなければなりません。
クリスチャンが祭司の役割をして祈らないから、弱い者たちが死んで行くのです。
本物になりなさい
申命記29:24〜29
24「全ての国々は言うであろう。『何のために、主はこの地にこのようなことをされたのか。この激しい燃える怒りは何なのか』」
29「隠されていることは、私たちの上帝、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえの全ての言葉を行うためである」
ヨハネ3:36
「御子を信じる者は永遠の命を持っているが、御子に聞き従わない者は命を見ることがなく、上帝の怒りがその上にとどまる」
主が何か事をなさるのは、私たちが悟るためです。
本物になりなさい、イエス様に聞き従えないなら、主の怒りを受けるのだよ、と教えておられるのです。
イエス様の命令に素直な幼子のように従えないなら、敵と戦うことはできません。
私たちは、主の軍隊にいるのですから。
(味方を攻撃し、討つようなクリスチャンがいてはなりません。
しかしそのような人がいることは事実です)
エペソ6:12~23
12「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです」
18「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい」
上に立つ者のために祈れ
敵は、国を支配しています。
だから、日本の国の上に立つ者のために祈れと言われているのです。
天皇陛下のために、首相のために、祈らなければなりません。
中国のクリスチャンたちは祈っていたのでしょうか。
分かりません。
ただ言えることは、中国のクリスチャンたちが祈った結果が、今の中国の状態なのです。
主は憐みに富み、また厳しいお方でもあります。
そんなに甘くはありません。
この、日本の今の現実を見なさい!と言われているのです。
私たちは、日本のために祈らなければならないのです。
小さなことに忠実でなければ、主のみこころを為すことはできません。
そのような者でなければ、天国に入れません。
実生活の中で、実を結ばなければならないのです。
敵を愛していますか。言い訳は通用しません。
イエス様は、あなたの全てを見ておられるからです。
上帝を信じ、控えめな態度で愛にあふれた生活を送るなら
Iテモテ2:13〜15
13「アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです」
14「そして、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて過ちを犯したのです」
15「女は、慎みをもって、信仰と愛と聖さにとどまるなら、子を産むことによって救われます」
この箇所から、ある女性が言いました。
「私は子どもを産んでるから救われるけど、あの人は子ども産んでないからかわいそうよね」
何という勘違いでしょう!
悪霊に使われて、ある自分の嫌いな女性に当て付けるために言ったのです。
同じところをリビングバイブルで読んでみましょう。
Iテモテ2:15
「そこで上帝は、女に子を産む時の苦しみをお与えになったのです。しかし、もし女が上帝を信じ、控えめな態度で愛にあふれた生活を送るなら、その魂は救われます」
ここにあるように、上帝を信じ、控えめな態度で、愛にあふれた生活を送るなら、救われるのです。
神罰
創世記3:14〜19
16「女にはこう言われた。
『わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。
あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、
彼はあなたを支配することになる』」
17「また、人に言われた。
『あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないと
わたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえに呪われる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる』」
主は、エバに産みの苦しみを与えられました。
女性への神罰は、「産みの苦しみ」と「夫はあなたを支配する」ということです。
罪を犯す以前は、アダムとエバは同等でした。
しかしここで、支配する者と支配される者という、上下関係が生まれました。
女性は男性に支配されるようになったのです。
アダムには何と言われましたか。
男性は苦しんで、汗を流して、大地から糧を得ることになりました。
苦しんで、です。
だから楽をしている男性は、くだらない者となってしまうのです。
アダムは命令を破りました。
エバには命令されていません。
主はアダムに命令を与えられたのです。だから責任は夫にあります。
男性に言います。
あなたがクリスチャンなら、忠実な主のしもべにならなくてはいけません。
何故なら、あなたの態度は妻に影響を与えるからです。
妻が、主に忠実になれないように邪魔をしてしまうのです。
あなたはどこにいるのか
みなさんに覚えて欲しいみことばがあります。
ヘブル語で「アイエーカ」です。
創世記3:9
「上帝である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。『あなたはどこにいるのか』」
「あなたは、どこにいるのか!」、ヘブル語で「アイエーカ!」です。
イエス様はあなたにこう言われています。
「何を隠れているのか。何をごまかしているのか。何を言い訳しているのか。出てきなさい!」と。
正直になりなさい。わたしの前に来なさい、と。
以下は、交わりの時に語られた内容です。
どうして欲しいのか
毎週、「やろうとしたけどできませんでした」「文句を言って逃げてしまいました」と言っていても時間が過ぎるだけで何も変わりません。
それは献身がなければ無理です。
あなたが自分を捧げなければ、イエス様は何もできません。
イエス様は、あなたにはっきりと聞かれます。「どうして欲しいのか」と。
従うことは、嫌でもやる、ということです。
自分に努力を強いることです。
「もうひと頑張りしよう」「ここで、感謝しよう!」と自分を従わせるのです。
肉は楽がしたいです。
しかし従順は、楽にはできません。
「できなかったけど、次は頑張ります」と毎週言い訳ばかり、いったいいつ終わりにするのですか?
失敗してもやる
努力するということは、失敗してもいいからやる、ということです。
何もやらないで怠惰で終わるよりは、やって失敗した方が良いのです。
ペテロは、水の上を歩き、途中で怖くなって沈みました。
その方が良いのです。
やると決断したら、イエス様は必ず助けてくださいます。
「助けてくださったから、できた!」を一つ一つ積み重ねて行くのです。
何故その一歩を踏み出さないのですか。
ペテロのように水の上を歩いて来ないのですか?
キリスト教はいつも同じことを言います。
自分の口でやると言ったのなら、やりなさい。
またこの一週間を無駄にしたのですか。
そうやって時間はどんどん無駄に消えて行くのです。
自分にムチ打つ
イエス様は、人間の弱さを全てご存知です。
だから「ゆだねます。やるべきことをやります」とイエス様にお頼りするのです。
あのパウロも「自分にムチ打つ」と言っています。
何故そんなことを言ったのでしょうか。
パウロも「今日はしんどい。休みたい」と思ったことがあるからそう言っているのです。
必要なのは、やるべきだから、やる!と言う決意です。
あなたがたは、まだ罪と戦って血を流したことがない、と言われている通りです。
イエス様は、罪と戦って血を流されました。
そのイエス様について行くのです。
イエス様は、絶対に退かない!という決意で進んで行かれました。
わたしは、十字架で死ぬのだ、と。
その後を私たちはついて行くのです。
イエス様は血みどろで歩んで行かれました。
だからついて行く私たちも血みどろになるのは当然です。
覚悟しなさい。
自分の言葉に、責任を持ちなさい。
あなたの言葉によって、罪と定められるのです。
「やると言ったのなら、やらなければ罪だ」とイエス様は言われるのです。
芋洗い
教師には、教示する権威が与えられています。
(だから教師に対する裁きは特別厳しいのです)
下手な教師は、上下関係を作って相手を屈服させてしまいます。従え、と。
しかし良い教師が語るなら(そのことがイエス様ご自身から出ているなら)、指摘された方も(その時には嫌な気持ちになったとしても)、後でイエス様ご自身から教えられ、納得できるのです。
みなさんは、今お互いに芋洗い状態です。
これは上下関係はなく、フラットな立場です。
だから、お互いに(年齢も関係なく)、「こう思う」「こう思わない」と意見を言い合うのです。
それは、お互いに砕かれることができ、良いことです。
しかし、あることを本人が決めてしまったら、口出しすることはできません。
卑怯者は、何も言わずに黙っています。
心の中でごちゃごちゃ言って、後であの時こうだった、ああだったと言います。とても卑怯です。
言うなら、この場で言うのです。他では言いません。
自制
ヘブル語の「アイエーカ」を覚えてください。
「何故隠れているのか?」とイエス様は言っておられるのです。
カインに言われたように、何故ふてくされて下を向くのか?
罪がお前を慕い求めて待っているよ、と。
これはとても恐ろしいことです。
カインは怒りました。怒りの奴隷です。
この「殺す!」と言う自分をセルフコントロールするのです。
この怒りに自分で「NO!」と言うのです。
御霊の実の自制(セルフコントロール)が、全てを支えています。
セルフコントロールがないと、その時の気分のまま動いてしまいます。
イエス様に自分を捧げてゆだねているのなら、イエス様の命があなたをコントロールしてくれます。
イエス様はワンダフルカウンセラー、不思議な助言者です。
だから日常生活の全てで、聞き従いなさいと言われているのです。
イエス様は、あなたに助言したいと思われているのに、「アイエーカ」どこにいるのか?!
逃げてしまい、自分でああでもない、こうでもない、と言っているのです。
祝福を与える旅
あなたが生き方を変えようとしているので、イエス様があなたの周り(家族、友人)への祝福をくださったのです。
信仰の従順は、祝福の基となります。
祝福を体験したかったら、従順の道を歩むことです。
祝福は、あなたではなく、ただただイエス様の愛です。
この世の歩みは、周りの人に祝福を与える旅なのです!
文責 菅原はれみ

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