
申命記31:30~32:44
マタイ6:14〜24
20「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません」
21「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです」
みなさんの顔を見ていると、話そうと思ったことが、どんどん消えて行きます。
葛藤が始まり、「もう駄目だ、イエス様の導きに従おう」といつも思います。
箴言や申命記は、サタンとの戦いが書かれています。
イエス様は、そこから引用して弟子たちに話されました。
旧約聖書のみことばは武器になります。
その武器を用いて戦ったのが、イスラエル民族でした。
クリスチャンでも、旧約聖書を読んでいない人は、最初から負けています。
悪霊は、その人のうちにあるもの、感情を読んでいます。
そして、女性の弱さ、心の動きをよく見ています。
あなたが死なないならば、闇に落ちます。
日本人は素直ですか?
人に言われると、すぐにうなずく弱さがないですか。
二人の主人に仕えることはできない
箴言10:15
「富む者の財産はその人の堅固な城。貧しい者の恐れは自らの貧困」
箴言15:27
「主への畏れは日数を増やす。悪しき者の年は短くなる」
マタイ6:24
「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは上帝と富とに仕えることはできません」
人は、二人の主人に仕えることはできません。
どちらかに忠実になり、忠誠を誓うからです。
あなたが「カネが私のすべて!」と思っているのなら、悪霊はその肉の思いをよく読んでいます。
天の父の前で、あなたの心のすべてが丸裸であるように、悪霊もあなたの心の動きをよく知っています。
見えない世界では、見えないものが丸裸に見えているのです。
肉の性質は滅びをもたらします。
だからイエス様は、肉の貪欲さ、プライド、妬み、自尊心、優越感を「捨てろ!」と言われたのです。
イエス様を模範として、イエス様に聞き従って生きていくことを、主は弟子に要求されています。
疲れている者はイエス様のもとへ帰れ
マタイ11:28,29
28「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」
29「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます」
あなたの人生は、今まで何がありましたか?
何か良いことがありましたか?
重荷を負った人生は、疲れます。
イエス様のところに帰れなければ、絶望し、自殺しかなくなります。
自殺は、造り主への最大の悪です。
あなたを造られたお方への、卑劣な侮辱であり、最大の反逆です。
それは「私を造ったあなたの失敗です。私を造ったあなたが、あさはかなのです!」という態度です。
イエス様があなたのために支払ってくださった犠牲を、軽蔑し嘲笑うのです。
自殺した者への裁きは、恐ろしく厳しいものです。
自分の罪に気がつくと、「イエス様のところに帰るしかない」と分かるでしょう。
問題とぶつかった後、本当の自分を見せられるのは、主の大きな恵みです。
しかし罪を認めたくない人は、いろんな問題を「あの人のせいよ」と他人のせいにし、それができなくなると、自分を守るために自殺するのです。
私たちは、もともと罪人です。
主の憐れみで赦されただけです。
それなのに、人に対して上から目線などあり得ません。
教師になると、託された人々を守るために、間違った教えに立ち向かわなければなりません。
主のシープドッグは、羊を守ろうとします。
教師は、敵と戦わねばなりません。
しかし、判断を間違うと、それが全てペナルティーとなります。
イスカリオテのユダのように、教会を商売の巣としてはならないのです。
富はマモンと呼ばれ、「強欲の神」という意味です。
マモンは、実際に力を持ち、支配力と影響力を持っています。
あなたは、イエス様とマモン、どちらに命を捧げますか?
この世は、お金で支配されています。
アメリカ大統領選挙で、トランプ氏は何か内側で目覚めて来たのでしょう。
見ていて、顔つきが変わって来たように思います。
人は苦しみに会う時、誰を信頼してよいか、分かってきます。
苦しみにあうことは、良いことなのです。
お金につられて裏切らない人は誰か、誰を信じてよいのか。
そのような友人は、すばらしい人生の宝となります。
イエス様は、「泣く者と共に泣け」と言われました。
それは未熟な人には無理です。
見せかけではなく、心からの同情、同感を人は必要としているからです。
昨日の洗礼式で、私は一人の娘を失いました。
そして、共に天の故郷を目指す、一人の姉妹を得ました。
マリアとその兄弟たちが、イエス様を連れ戻そうとしてやって来た時、イエス様は何と言われましたか。
ここに私の母がいる、兄弟姉妹がいる、と言われました。
イザヤは、子を産まない女が、兄弟姉妹を生み出す、と語りました。
そのように、祈りによってお互いを助けて行く姿が、私たちのあるべき、造られた姿です。
イエス様の焼き印
Iヨハネ5:18
「上帝から生まれた者はみな罪を犯さないこと、上帝から生まれた方がその人を守っておられ、悪い者はその人に触れることができないことを、私たちは知っています」
上帝から生まれた者は、みな新しい命を持っています。
イエス様の新しい命がないなら、次のステップはありません。
ユダヤ人、特にパリサイ人たちは、富の豊かさを、天の父の特別な好意のしるしだと考えていました。
自分は天の父に認めてもらっているのだ、と。
その逆に、貧困は不信仰と、天の父に喜ばれていないしるしだと考えていたのです。
しかし、パリサイ人たちの信仰はどうでしたか。
口で立派なことを言うようには、実際の生活では実践していませんでした。
これは、完全な偽善者です。
同じことが、クリスチャンにも言えることです。
マタイ3:1〜12
7「ヨハネは、大勢のパリサイ人やサドカイ人が、バプテスマを受けに来るのを見ると、彼らに言った。『まむしの子孫たち、だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか」
8「それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい」
10「斧はすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます」
12「また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめられます。麦を集めて倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます」
良い実を結ばないなら、切り倒されて、その人の人生は終わります。
あなたは人生で、どんな実を結んで来たのですか。
それはイエス様にお返しできるような実ですか?
主は、麦ともみ殻を分けられます。
あなたが聖霊と火のバプテスマを受けたのなら、あなたの心に火が灯ったのです。
それは内面的な火で、イエス様の焼き印です。
ガラテヤ6:14〜18
14「しかし私には、私たちの主イエス・メシアの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました」
15「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です」
17「これからは、だれも私を煩わせないようにしてください。私は、この身にイエスの焼き印を帯びているのですから」
焼き印は、火で押したものです。
それは火傷ですから痛みを伴い、消すことはできません。
これが聖霊と火のバプテスマであり、心の割礼です。
悪霊が来ても、その人を見ると「こいつは、イエス様の焼き印がある。駄目だ!手を触れると火傷する」と、その人に触れることはできません。
その代わりに、直接触れないで離れた場所から矢を放って攻撃します。
エレミヤ9:23〜26
24「誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であり、地に恵みと公正と正義を行う者であるからだ。まことに、わたしはこれらのことを喜ぶ-主のことば」
25「見よ、その時代が来る-主のことば-。そのとき、わたしはすべて包皮に割礼を受けている者を罰する」
26「エジプト、ユダ、エドム、アンモンの子ら、モアブ、および荒野の住人で、もみ上げを刈り上げているすべての者を罰する。すべての国々は無割礼で、イスラエルの全家も心に割礼を受けていないからだ」
アブラハムの子孫は、選ばれた契約の民として割礼を受けました。
律法とイエス様のことばを守るべきだったのです。
新約時代では、肉体ではなく心に割礼を受け、主の焼き印を受けるのです。
この世の神によって、あなたの肉が刺激された時は、内側のイエス様の焼き印が熱を帯びてくるはずです。
自分の内側で、反応するからです。
四つの福音書は、皇民の群れに書かれています。
福音書のみことばが心に記されていないと、イエス様に従いたいという思いが小さいままです。
聖書を通読しているうちに、ある時にみことばをふと思い出させてくれます。
みことばが光を放つのです。
光は闇を曝け出します。
あなたの内の闇も暴かれるでしょう。
あなたの内側は、ほとんどが闇ですか?
その人が何を楽しみに生きているのかは、その人を見ていれば分かります。
この世のお金のある人々は、貧しい人々を巧みに利用しています。
中国共産党しかり、アメリカなども、富む人々が貧しい人々を奴隷にして来ました。
主を誇れ
ピリピ3:1〜16
2「犬どもに気をつけなさい。悪い働き人たちに気をつけなさい。肉体だけの割礼の者に気をつけなさい」
3「上帝の御霊によって礼拝し、メシア・イエスを誇り、肉に頼らない私たちこそ、割礼の者なのです」
8「それどころか、私の主であるイエス・メシアを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はメシアのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がメシアを得て」
9「メシアにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、メシアを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて上帝から与えられる義を持つのです」
パウロはここで、イエス様を知ることの素晴らしさのゆえに、すべてがちりあくただと言っています。
「誇る者は、主を誇れ!」と言われている通り、クリスチャンには誇るものは主イエス様しかありません。
あなたは、いったい何を誇っているのですか。
主イエス様を本当に喜んでいなければ、証人にはなれません。
ヤコブ2:1〜11
1「私の兄弟たち。あなたがたは、私たちの主、栄光のイエス・メシアへの信仰を持っていながら、人をえこひいきすることがあってはなりません」
2「あなたがたの集会に、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来て、また、みすぼらしい身なりの貧しい人も入って来たとします」
3「あなたがたは、立派な身なりをした人に目を留めて、『あなたはこちらの良い席にお座りください」と言い、貧しい人には、『あなたは立っていなさい。でなければ、そこに、私の足元に座りなさい』と言うなら」
4「自分たちの間で差別をし、悪い考えでさばく者となったのではありませんか」
えこひいきは、罪です。
この世のお付き合いや、挨拶の仕方を、皇民の群れに持ち込んではなりません。
お互いを、勝手に褒めてはいけません。
イエス様に聞きなさい。
イエス様は、あなたの褒め言葉を、どう聞いておられますか?
この世の人は、その人の身なり、着ているもので判断します。
しかし、主の弟子ならば、この世と違う価値観を持っているはずです。
太秦之宮を建て上げることが許された時、宮の前には、鳥居を建てたいですね。その鳥居には、「主を愛さない者は呪われよ」と書いて欲しいと、私は夢見ています。
イエス様を愛するがゆえに行なうこと、それが弟子の生きる動機のすべてです。
太秦の群れは、イエス様に最善のものを捧げたい、そう願う者たちの群れでなくてはなりません。
文責 菅原はれみ
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