
使徒19:1〜20
使徒19:8~20
8「パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、上帝の国について論じて、人々を説得しようと努めた」
18「そして、信仰に入った人たちが大勢やって来て、自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした」
19「また魔術を行っていた者たちが多数、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計すると、銀貨五万枚になった」
20「こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった」
今の日本の現状は、偶然ではありません。
主の摂理の中における裁きの結果です。
日本の歴史の中に、イスラエル十部族が来ていたこと、原始キリスト教徒が来ていたこと、その痕跡が日本各地で発見されています。
また、現代に伝わっている祇園祭、八坂神社、三柱の鳥居、など数えきれません。
日本文化の土台は、ユダヤ教もキリスト教も、全てがミックスされてないまぜになっています。
新約の私たちは、主の栄光を褒め称えるため、主を礼拝するために存在しています。
しかし今、イエス様が褒め称えられているものは、どこにあるのですか!?
日本のどこで、イエス様の栄光が現されているのですか!?
松尾大社は、秦氏の氏神であり、能が奉納されています。
神を現すために、翁の見えない世界を能の中に表現しています。
神道の奥義は、「一にして多、多にして一」という、ユダヤ教が土台であることを現しています。
京都の太秦という地名は、イエス・メシアがなまったものです。
私は、主からいただいた使命として、この京都で錦の御旗を立て、「耶蘇上帝會 太秦之宮」という看板を掲げています。
サタンや悪霊は、決してイエス様の栄光を現して欲しくないのです。
この日本で、主の栄光が現されるために、私は信仰を持って、目に見えないものを見ようとしています。
私は、ここに命を懸けているのです。
私が太秦之宮の御旗を立てた時、神学校の同僚や牧師たちから批判を受け「何故?おかしくないか?」と反発されました。
イエス様ご自身の栄光を現そうとするクリスチャンが、いかに少ないか!
彼らは
教会をやっているだけで、イエス様を求めているわけではないのです。
私は、信仰が幼い時、人にイエス様のことを言えませんでした。
言おうすると、プレッシャーがかかり、言えなかったのです。
戦いは、目に見えるものではありません。
みことばかパンか
イエス様が御生涯を始められた時、サタンはルシファーとして、麗しい姿でイエス様の前に立ちました。
この時初めて、イエス様とサタンがはっきり向き合ったのです。
サタンは、イエス様に間違いを犯させようとして、誘惑しました。
サタンは弱いところを試しますよ。
マタイ4:1〜10
3「すると、試みる者が近づいて来て言った。『あなたが上帝の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい』」
4「イエスは答えられた。『人はパンだけで生きるのではなく、上帝の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある」
最初のチャレンジは、聖書のみ言葉によって生きることを学んでいるのか、ということでした。
あなたは、聖書を通して語っておられるお方を信頼して生きることを学んでいますか。
みことばか、パンかです。
サタンはみことばを使う
マタイ4:5〜7
5「すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて」
6「こう言った。『あなたが上帝の子なら、下に身を投げなさい。”上帝はあなたのためにみ使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする”と書いてあるから』」
7「イエスは言われた。『あなたの上帝である主を試みてはならない』とも書いてある」
ここで、サタンは一瞬で、イエス様を運んでいるのがわかります。
現実ですよ、みなさん信じていますか?
上帝の子ならば、こうしてみたら?できるでしょう?という誘惑です。
このレベルになると、かなり成熟した者に対してしかありません。
ここでの注意は、サタンはみことばを使うということです。
「聖書には、こう書いてあるからやってみたら?」と言うのです。
「病人に手を置けば癒される、と聖書には書いてあるから手を置いてみたら?」と囁くのです。
しかし、イエス様が「しなさい」とはっきり言われるまで、やってはならないのです。
私も、多く失敗して、今日があります。
ひれ伏して拝むなら
マタイ4:8〜10
8「悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて」
9「こう言った。『もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう』」
10「そこでイエスは言われた。『下がれ、サタン。”あなたの上帝である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい”と書いてある』」
この世の全てのものは、空中の権を持つ、サタンの手の中にあります。
サタンは、「イエス様の贖いは失敗したのだよ」と人間に見せたいのです。
私たちは、舞台に立つ役者です。
み使いたちがそれを観ているのです。
サタンは、「ひれ伏して私を拝むなら」と言いました。
それが悪魔礼拝です。
中国の共産党員は、巨額の富を得ています。
自分さえ金が儲かれば良いのです。
今、世界で起きていることを表面的に見れば、分からないことばかりです。
しかし、サタンはいろんなところでボロを出します。
サタンにとっては、中国共産党員は、ただの配下です。
そのことが暴露されて行くのを、サタンは黙って見ているでしょうか。
そして対立するアメリカの中にいる腐った人々、いったいこのもつれた姿は何でしょうか。
蛇にもいろんな種類がいるでしょう。
それと同じです。
蛇どうしが絡み合って、共食いをしているのです。
主は、放蕩息子のように、人間として本心に目覚めるのを待っておられるのです。
いかに自分が惨めか、気づかせるためです。
これが、救いのプロセスです。
混沌としたこの時代、何故私たちは祈るのか。
テレビでは、ほとんど報道しない中国の現実は、何なのか。
人間とは何ですか?
苦しみがないと、本心に立ち返らないのです。
この世が混乱すればするほど、目まぐるしく時が経ちます。
いつの間にか歳をとってしまいます。
あなたが今、どのようなことを学び、何を考え、何を気づき、どのように価値観が変わったのか。
あなたは、自分の人生の方向性を見出しましたか?
メディアを使って、この世の娯楽ばかりが報道され、それに気を取られているうちに、あっという間に時が過ぎるのです。
だから、若い時にあなたの造り主を知れ!と言われているのです。
人間は、イエス様のために造られたのだからです。
イエス様の栄光を現わせ
Iコリント6:20
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって上帝の栄光を現しなさい」
私たちは、イエス様の命という代価を払って、買い取られた者です。
あなたを、買い取った方がおられるのです。
あなたは自分のものではなくて、買い取った方のものです。
私たちが生きる第一の目的、目標は、「どこにいてもイエス様の栄光を現す」ことです。
このみことばが、心に書き記されていないのです。
書き記されていたら、みなさんの顔つきは今と違うでしょう!?
仕事もその他のことも、イエス様に助けられてばかりです。
イエス様の素晴らしさを、あなたのからだをもって現しなさい!
そのために生きているのですよ。
これは、能動的な事柄です。
受け身ではありません。
そうでないと、祈っていることも、やっていることも、的外れになってしまいます。
信仰は実践
使徒19:11,12
11「上帝はパウロの手によって、驚くべき力あるわざを行われた」
12「彼が身につけていた手ぬぐいや前掛けを、持って行って病人たちに当てると、病気が去り、悪霊も出ていくほどであった」
これはどうですか。
ご利益がありますね。
一歩間違えると、霊能者や呪い師になってしまいます。
パウロは手を置いて祈りましたが、それは彼が使徒であったので、許されていたのです。
現代の牧師や宣教師が、軽々しく手を置いて祈ってはなりません。
ペテロのように「私にあるものをあげよう」と言えたらそれで良いのです。
この「あるもの」とは、イエス様のお名前に力があるという確信です。
あなたのうちにおられるイエス様が軟弱なのです。
内なるイエス様の命が、はっきりと表示されるくらいに、強くなることを求めてください。
私も、遠くにいる親戚が病気で苦しんでいる時、祈ってからハンカチを送りました。
義理の兄の頭に乗せて欲しいと。
もちろん、主にお聞きしてから、信仰によって送ったのです。
(聖書に書いてあるから、ではありません)
このように、困っている人に対して、祈って何かを送ってあげるのも大切だと私は思っています。
信仰は実践だからです。
置かれたその場で、癒しや力あるわざが現されることを、主は願っておられます。
ことばではなく力
Iコリント4:19 〜20
19「しかし、主のみこころであれば、すぐにでもあなたがたのところに行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく力を見せてもらいましょう」
20「上帝の国は、ことばではなく、力にあるのです」
思い上がっている人たちとは、主にそこまで信頼されてないのに、勝手にやっていた人たちのことです。
パウロは、私たちに彼の生き方を思い起こさせてくれます。
そして、テモテはその通りにやって来たのです。
それは、同じように私たちにも要求されていることです。
信仰は大胆さ
イエス様の、サタンに対する態度はどうでしたか?
怖気付いてなどおられません。
イエス様にある大胆さが、いかに必要か!
ヘブル4:14〜16
14「さて、私たちには、もろもろの天を通られた、上帝の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか」
15「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです」
16「ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」
主に近づき、祈って呼ぶ時、天の父への大胆さが必要なのです。
黙示録21:5〜8
8「しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である」
生まれつきの自分は、屁っ放り腰で逃げようとします。
臆病者は信仰者ではありません。
自分を捨て、十字架を背負っている者だけが、大胆になれるのです。
信仰による失敗は許されます。
しかし、臆病者は失敗しません。
自己中心で自己保身のことしか考えないからです。
自分が損をしない、傷つかないで済む範囲から出ません。
大胆な者は、たくさん失敗するでしょう。
ですが悔い改めて、どんどん前に進むしかないのです。
それが信仰です。
ペテロは、イエス様のためなら死ぬことも厭わない、と言いました。
しかし、十字架の前に裏切ってしまいました。
人間の頑張りでは、無理なのです。
火と聖霊のバプテスマを受け、生まれ変わり、新しい命を持っている者だけができるのです。
イエス様は、私たちに助け主を送るために、栄光の天の御座につかなければならなかったのです。
そうでないと、ご聖霊が遣わされないからです。
主が敵となられる
イザヤ40:11
「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く」
イザヤ49:15
「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない」
イザヤ63:7〜10
9「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の臨在のみ使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった」
10「しかし彼らは逆らって、主の聖なる御霊を悲しませたので、主は彼らの敵となり、自ら彼らと戦われた」
私が苦しむ時、主がいつも共にいてくださいました。
だから今、私はこの太秦の地にいるのです。
主が、ここまで導いてくださったのです。
そして、どうか本物の弟子になってください。
そうでないと、イエス様があなたの敵となられます。
偽クリスチャンの悲惨な姿です。
主は、あなたを忘れたりなさいません。
共に苦しみを分かち合ってくださいます。
だから、大胆に恵みの御座に行こうではありませんか。
小心者は駄目です。
信仰に大切なのは、大胆さです。
文責 菅原はれみ
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