耶蘇上帝會 太秦之宮

京都・太秦を拠点とする日本のキリスト教会です

礼拝message 8月12日(水)

礼拝message 8月12日(水)

ヘブル人への手紙 12章

贖い

レビ17:11
「実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である」

‘For the life of the flesh is in the blood, and I have given it to you upon the altar to make atonement for your souls; for it is the blood that makes atonement for the soul.’

atonement:贖い、償い
宥(なだ)める:calm, calm down, pacify, sootheなど

ここで何故、atonement という英語を「宥める」と訳したのでしょうか。
この単語に「宥める」という意味はなく、これでは全く意味が違ってしまいます。「宥める」という日本語を英訳しても atonement にはなりません。
これまで「贖い」と訳されて来た箇所が、2017版新改訳聖書では「宥め」と変えられてしまいました。
「宥める」と言うと、「上帝の怒りを宥める」つまり「自分が頑張れば上帝の怒りを鎮めることができる」と思わせてしまいます。
しかし「贖う」と言うと、「犠牲を払って償わなければならない」という意味になります。

焼き尽くす火なるお方

このように、この世の霊(悪霊)は、正典とするみことばに別のものを挿入して、父なるお方がどのようなお方であるかを変質させてしまうのです。
父なる上帝は「焼き尽くす火」であり、モーセも震えおののきました。
「贖い」は「償わなければならない!」と心に刺さりますが、「宥める」はヒューマニズムの信仰にとっては、非常に心地の良い響きです。

信仰の変質

カルトは「イエス様は失敗した」と言い、「クリスチャンを見よ。貧相で暗いじゃないか」と嘲ります。
(世の人はあなたの暗い顔を見て、救われたい、あなたみたいになりたい、と思いますか?)
天の父は、私たちの罪の代償として、イエス様の「贖い」、つまり「上帝の子羊としての血」を必要とされたのです。
もっと言ってしまうと、悪霊は訳者に働きかけたのです。
聖書の中にちょっと細工をほどこせば、信仰は変質してくるからです。

罪の贖いのための苦しみ

イザヤ52章を読んでください。強烈なインパクトがあるでしょう!?
イエス様の顔は、殴られて普通の人間の顔ではなくなっていたのです。
イエス様は、何故こんなに苦しまれたのですか。
私たち人類の罪の、償いのための苦しみだったのです!
「宥める」というゆるい言葉では済まされません。

イザヤ52:13〜15
13「見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められて上げられ、きわめて高くなる」
14「多くの者があなたを見て驚き恐れたように、その顔だちは損なわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた」
15「そのように、彼は多くの国々に血を振りまく。王たちは彼の前で口をつぐむ。彼らが告げられていないことを見、聞いたこともないことを悟るからだ」

イエス様の弟子は、ご聖霊に従う生活をしていないと調子に乗ってしまい、悪霊の囁きかけにコントロールされてしまいます。
みことばを、生活の土台としなければなりません。
ここは、「宥める」を「贖う」に言い換えて読んでください。
主に許されるならば、いつか「上帝版」の聖書を出したいと願います。

汚れた良心のきよめ

ヘブル9:13〜14
13「雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら」
14「まして、メシアが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって上にお捧げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける上帝に仕える者にすることでしょうか」

Ⅰヨハネ1:7〜9
7「もし私たちが、上帝が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます」
8「もし自分には罪はないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません」
9「もし私たちが自分の罪を告白するなら、上帝は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」

リビングバイブルで読んでみましょう。
ヘブル9:13 「もし、古い制度のもとで、雄牛ややぎの血、あるいは若い雌牛の灰が、人々の体を罪からきよめることができるとすれば」
14 「ましてメシアの血は、どれほど確実に、私たちの心と生活を変えることでしょう。メシアご自身のいけにえは、古い規則に縛られる悩みから、私たちを解放し、生ける上帝にお仕えしたい気持ちに駆り立てるのです。それは、不滅の方である聖霊様の助けによって、一つの罪も欠点もない完全なお方が、自分を喜んで上帝にささげ、私たちの罪のために死んでくださったからです」

赦し

罪の代価は、イエス様によって支払われたのです。
私たちが、真実に罪を告白し悔い改めるなら、ご聖霊が働いてくださり、必ず解放感が伴います。
イエス様の十字架の血を注ぎかけてくださり、罪をきよめてくださいます。
あなたの悔い改めが天で受け入れられたならば、生活の中でイエス様からのサイン(しるし)が与えられ、本当に自分は赦されたのだと分かります。

死の恐怖からの解放

Iコリント15:50〜55
53「この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです」
54「そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します」
『死は勝利に呑み込まれた』
55『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか』

復活のからだをいただくという確信があるなら、死は恐くありません。
これが新しく生まれた人の姿です。
(もし死ぬことが恐いなら、あなたの信仰は本物ではありません)
天国では、健康な、その人の人生の中で一番美しい時の姿に変えられます。
若々しく造り変えられるのです。

イエス様の血

Iペテロ1:1〜2
1「イエス・メシアの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち、すなわち」
2「父なる上帝の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・メシアに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなた方にますます豊かに与えられますように」

神戸のある群れは、「おん血、おん血」と叫びながら体を揺らして祈ります。
最初その集会に出た時、「おんちとは何のことだろう?音痴?」と思ってしまいました。
ただ「おん血」と叫べばよいのではありません。
私たちは、イエス様の血潮の力を知り、またイエス様の血を大切にしなければなりません。
何度も言います。罪を贖うのは、イエス様の血のみです。

ヘブル10:22「心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から上帝に近づこうではありませんか。

リビングバイブルで読んでみましょう。
ヘブル10:22 「私たちは、まちがいなく受け入れられるという確信と、真実な心をもって、上帝の前にまっすぐ進み出ようではありませんか。私たちの心は、メシアの血を注がれてきよめられ、体は、きよい水で洗われているのですから」

ヘブル12:24「さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です」

リビングバイブルでは、
ヘブル12:24 「またさらに、新しい契約をもたらしたイエスご自身、復讐を叫ぶアベルの血ではなく、恵みに満ちた罪の赦しを与える血に、近づいているのです」
イエス様の血は、恵みに満ちた罪の赦しを与えるのです。
心のきよい者は幸いです。主をおそれなく見ることができるからです。
あなたの中に不従順が残っているなら、イエス様を見ると恐くてたまらないでしょう。

聖いお方

私は、以前(まだ若い神学生の頃でした)あることで、主に不従順なことを犯し、本当に悩み苦しんだことがあります。
「もう自分はダメだ。死にたい」と思い、死の覚悟をして自分の部屋で一人正座して祈りました。
「主よ。もう殺してください」と祈ったその時、遠くの遠くに、小さく小さくイエス様がパッと見えたのです。
思わず「耐えられない!!」という悲鳴を上げました。
あまりにも聖いお方のお姿を、ほんの点のように遠くに垣間見ただけで、「やめてください!来ないでください。耐えられません!!」と叫びました。
罪も汚れもない聖いお方を見ることは、死ぬことよりもしんどく苦しいことでした。
「殺してください」と言いながら、イエス様を垣間見たときの私の反応は、こんなものでした。
イエス様の血の注ぎかけを受けないと、イエス様の前にも出られません。
み言葉を土台とし、イエス様の十字架のもとにひざまずき、イエス様の血が注がれて、それで初めて礼拝できるのです。

焼き尽くす火

ヘブル12:29「私たちの上帝は焼き尽くす火なのです」

もし、今あなたが死んだなら、ダニエル書3章のシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのように燃える火の中に投げ込まれます。(火の中を通らないと天国へは行けないからです)
火に耐えられずにそのまま火の池である地獄に行くのか、火の中を通って天国に入るのか、どちらかです。
生きたイエス様との交わりがないなら、あなたはそのまま地獄です。
イエス様の目から見れば、キリスト教界はこのまま滅びる運命にあります。
イエス様との交わりがなくても、聖書の翻訳はできるでしょう。
しかしそこには命はありません。死んでからでは、間に合いません!
私は今まで何度も全身麻酔の手術を受け、その度に「このまま生きて手術室から出てこれなくてもよい」と思います。
体がなければ、痛みから解放されるからです。

主を待ち望む

私は、いつも目の前に、自分の罪を置いておきます。
私には、過去このような罪があります、と。
祈っていると、ある時ぱーっと罪から自由にされたことがわかります。
ああ、赦された、イエス様の血が私のすべての罪をきよめてくださった、と。
主の平安が訪れます。この平安をどうか体験してください。
イエス様を静まって待ち望む生活が、いかに素晴らしく甘美なものであるか知ってください。
そしていつも祈る体勢をとっていてください。
幼い頃のサムエルが主の声を聞いたように、「主よ。いつでもお語りください」と聞く準備ができているように。
そして、イエス様からの祈りの答えを待たない人は、時間を無駄にしているのです。
イエス様に従う道が、救いの道です。「喜んであなたに従いたい。栄光を現したい!」と願うのが本当の弟子の姿です。

十字架のもとで祈る

地球のまわりには、真っ黒になって悪霊が取り巻いています。
十字架のもとにひざまずいて祈るなら、イエス様の生あたたかい血が流れ落ちてきます。
十字架のもとにいるなら、悪霊は手出しできません。
祈る時に、十字架から離れて祈るので、悪霊にコントロールされてしまうのです。
謙遜な態度がなければ、イエス様の血は注がれません。
主はすべてを見抜いておられるからです。決してごまかすことはできません。

以下は、交わりの時に語られた内容です。

姉妹たちとの会話の中で、「イスラエル十部族が神武天皇の時代には日本に来ていて、日本の宗教的土台を作っていたのなら、卑弥呼の時代にはすでにサマリヤ的偶像礼拝ができあがっていたことになる」「卑弥呼がイザベルに見える」などの質問に対してのものです。

日本の文化

日本には、ユダヤの宗教的な形だけがあります。しかしそこにイエス様の命はありません。
日本の歴史において、過去何度も、海外からいろいろな文化が入ってきました。しかし、それらは日本の文化には勝てませんでした。
(それらが日本の文化に勝ったことは、過去において一度もありません。日本はすべてを飲み込むからです)

女性は霊媒師に

日本を支配する悪霊のリーダー「大和の君」は、女性を使うのが好きです。
(卑弥呼しかり、女性の預言者たちです。まさにバアル、アシュタロテ礼拝そのもですね)
日本では、男性が弱く女性が強いので、女性が男性をコントロールしてしまいます。
(聖書で女性がリーダーになってはならないと言われているのは、女性はこの世の霊にすぐ感化されるからです)

民族の栄光

黙示録にあるように、それぞれの民族の栄光を携えてきて主に捧げるのですから、日本には日本の培われてきた文化を捧げものにしなければなりません。
しかし、この美しいものの中に、禍々(まがまが)しい汚れたものが混ぜられているので、それを取り除かなければならないのです。
きよめられ、主にふさわしいものにされて、捧げるのです。

君民共治

モルデカイ・モーゼ氏は、その著書「日本人に謝りたい」の中で、ユダヤ人が地上で理想として追い求めて来た「君民共治」そのものが戦前の日本にあった。
それを自分たちの手で壊してしまった。日本人に謝りたい、と嘆いています。
(主が日本を、天皇を中心とする一つの家族として熟成し育ててこられたのです)

イエス様の命

私たちが「本当の日本人」になるなら、形だけ残している人々が気づくでしょう、「自分たちには、宗教の形しかないが、彼らにはイエス様の命がある!」と。
私たちは、誰かを批判するのではなく、人々をイエス様に立ち返らせるために、今ここに生かされているのです。
能楽の翁の舞の後ろに、イエス様が立たれたら…あなたはどうしますか?
「かごめかごめ…後ろの正面だあれ」と。

文責 菅原はれみ

<礼拝中に引用された証し>

「最後の旅立ち マラナタ・リバイバル・クルセード編著 角笛出版」
  10 私の天国訪問 カナダのエリサベス・ボザードの証し
 から
 臨死体験で天に引き上げられイエス様に会い、天国がいかに素晴らしい所かを垣間見た女性が、人々に主の再臨の備えをするよう警告するようにとの命を受けて戻ってくるという証し

概要
~1945年死の床にあった私は天に引き上げられ、イエス様の血の注ぎかけを受け変化させられて御顔を直接見られるようになりイエス様と時を過ごす。
 天国には、主の栄光に満ちた御座があり、栄光の冠をかぶり白く輝く長いガウンを着た、若くて健康な母がいた。一方、下を見下ろすと地球があり、それは悪霊が厚く取り巻き覆っている。
 イエス様は私に、メシアの血潮の信仰を伝道者たちが人々に語るように伝えること。以前より困難な時代に生きる若者たちが救われ、聖められるように上帝のみ言葉を示し、彼らのために熱心に祈ることをおっしゃった。
そして、人々に主の再臨の備えをするよう警告するようにとの使命をゆだねられて、私は地球に戻された~                  文責 原田 

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