耶蘇上帝會 太秦之宮

京都・太秦を拠点とする日本のキリスト教会です

交わりtopics7月1日(水)

交わりtopics7月1日(水)

こもれび庵の窓から

弟や妹たちとの関わりを通して

自分のことなら自分の中でもがいて悔い改めれば良いけど、弟妹たちの事になると、イエス様に委ねつつ道をあけて頂くしかない。自分のことよりもっと出口が見えなくて、倍以上の苦しさがあります。でも祈りで格闘していると、イエス様が人を変えて行かれるタイミングがあり、それは自分の考えとは全く違う。弟妹たちを通して、「イエス様にしかできない!」という奇跡を見せていただいています。イエス様に問題を持って行く。そしてイエス様は人を動かしてくださる。イエス様は生きておられる!という喜びを味わっています。喜びと愛を与えられるのは、イエス様だけです。(爾)

肉との闘い

自分の中から出てくるものは、肉。それと戦い悶々しています。(鰒)

堂仙談:成長する時、脱皮する時はそういうもの。心も葛藤し、悶々とする。それで良いのです。しかし、その怒りを人に向けてはならない。自分の中の悶々としたものをイエス様に持って行かなければならない。そうでないと人に頼ってしまい、成長できない。自分の中で葛藤し、しんどいのは当たり前のこと。だから忍耐なのです。人に言ってしまえば楽だけど、それではいけない。黙っているのです。

ちょっと反発も・・・

礼拝の前半部分で、また同じ話・・・と反発してしまいました。(真)

堂仙談:私にとって、語る時はいつも新しいのです。イエス様にあって、自分が与えられたことを、何度も語らねばならないのです。イエス様は何度も繰り返し同じ話をされました。弟子たちが悟れるまで。語られたことが、ある時に自分の体験となる。それまで語らねばならないのです。

皆にそれぞれに役割が

ホームページやFacebookなどやっていますが、皆が賛同するわけではないと思っています。反発されてもそれはかまいません。意見をすり合わせる必要はありません。旧約では、最前線で戦う人もいれば預言者の役割をした人もいる。それぞれが、それぞれの立場や環境で、やるべき事をやって行けば良いと思っています。(真)

怒りからの解放

古い自分の中には、戦いたいというものがあります。でも、怒りから解放されるのは本当に自由です。ダニエル3章のネブカドネツァル王の驚きを思いました。どんなに驚いただろうと思うと、私も鳥肌が立ちました。(安)

先祖伝来の古いものから

生まれ育った環境の中で、先祖から受け継いだ掟だから、祟りがあるからと、無駄なことを強制されることが多くありました。そのような悪しきものの支配と先祖伝来の古いものから、イエス様は解放してくださるのだと実感しています。イエス様は自由を与えてくださいます。(晴)

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